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王斌氏講演

岸信介は「偽満州国」で何をしたのか

   戦争展のピースステージで、日中県連企画「岸信介は『偽満州国』で何をしたのか」の講演が行われ、まず石川賢作会長があいさつの中で、偽満皇宮博物院の王斌副院長が来日できなくなったことについて説明とおわび。続いて家田事務局次長が翻訳原稿を生きいきと語りました。講演は岸信介の出自から始まりました。以下は講演の概要です。
   ◇
 岸は東京帝大卒後「経済での国家統治」を学ぶために農商務省に入省し、対外侵略拡張の大アジア主義を主張した。1929年岸は、浜口内閣の官吏給与1割削減に反対して、新官僚の代表者と目された。1931年中国東北への侵略を開始した軍部の要求と、岸の経済統制思想が一致し、渡満以前に軍部と深い関係にあった。「日満経済一体化」による「偽満州国」完全植民地化を実現するために、39歳の岸は、政治的チャンスと考え、突然工務局長の職を辞し満州行きを要求した。
 「偽満州国」は「日満議定書」に調印させられ名実ともに傀儡(かいらい)政権になり、治安は関東軍が担当し、産業経済は岸ら経済官僚が行った。
 「偽満」総理や中国人官吏はただの傀儡で、すべての権限が関東軍と日系官吏の手に渡り、岸は産業部の実権を握りつつ実質的な副総理となり、産業経済から図書館建設に至るまであらゆることに関わった。全面的中国侵略に適応すべく産業開発五カ年計画の部分実施を満業の鮎川、満鉄の松川らと行った。
 第一次産業開発五カ年計画で岸は統制経済遂行の好機を得、椎名悦三郎らの資源調査に基き、銑鉄、石炭などの生産目標を大幅に引き上げて、略奪。新京(現長春)に「満業」を設立し、日産総裁の鮎川が満業総裁になり、地下資源から重工業まで独占。それは鮎川の資金を引き込むために岸が行ったことで、「二キ三スケ」が結びついた産業開発の名による中国東北の大略奪だった。
 「偽満」の植民地統治と略奪をしたが、なお、財政収入のためにアヘン専売政策を実施した。「アヘン王」里見甫、甘粕正彦、古海忠之、岸信介らはアヘン取引に大きく関係していた。
 岸信介の在満は3年と短かったが、日本の侵略戦争を支持し自己の経済統制理論を遂行した偽満統治の中心人物の一人として、中国侵略戦争で許されない罪を犯したのである。
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 講演は時宜にかなったテーマで、120部のレジュメが足りなくなるほど盛況でした。通訳を介さず丁寧でわかりやすい表現でよく理解できたと好評でした。

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