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シリーズ (4) 大府強制連行 大府飛行場中国人殉難者慰霊祭現地実行委員会の活動

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   三菱重工名古屋航空機製作所は工場と一体の飛行場建設を陸軍航空本部とともに進め、大府町(現大府市)と上野町(現東海市)の丘陵地に1941年(昭和16年)10月から1944年(昭和19年)4月にかけて長さ約1300メートル、幅約100メートルの滑走路と総組立工場、誘導路つきの整備工場を持つ知多飛行場、通称「大府飛行場」を完成させました。

 その7カ月後の1944年(昭和19年)11月空襲の激化する中、陸軍航空本部のもと飛行場拡張(第二滑走路といわれる)と誘導路新設工事に従事させるため、北海道の地崎組事業所から480名の中国人強制連行者を移送しました。1945年(昭和20年)6月に北海道へ再移送する間の冬季を含む約7カ月間、近くの溜池での洗顔・洗濯や、粗末な食糧、過酷な労働、厳しい管理下の生活を余儀なくされ、死亡者5名、負傷者19名、罹病者109名の犠牲者を出しました。

 地崎組は1891年に北海道で創業、2007年に吸収合併され「岩田地崎建設」(本社・札幌、名古屋支社・中区)として今も活動しています。

 事実を後世にと
 現在、総組立工場跡地はトヨタ長草工場として自動車を作っており、滑走路北端の側溝跡、第二滑走路跡地と思われる約1km余の直線道路と側溝跡に面影を残しています。
 2009年(平成21年)4月に日中友好協会愛知県連合会の呼びかけに応えて、不再戦平和と人権・人道問題として、事実を発掘して後世に伝えることや、戦後64年後に初めて慰霊祭を行うために、東海市と大府市の有志により「大府飛行場中国人殉難者慰霊祭現地委員会」を結成して地元の受け入れ準備をすすめ、愛知県の「実行委員会」と日中愛知県連とともに、2009年9月19日に130名の参列で第1回の慰霊祭が執り行われました。

 第2回慰霊祭へ
この間、収容幕舎跡地の場所の推定や、五人の遺体を火葬荼毘した火葬場の特定、死亡診断書を書いた医師2名のうちの1人や柳田泰三医師の消息が判明し、中国人に関する証言も集めてきています。
 今後も慰霊祭の毎年開催をすすめ、第2回を2010年9月18日(土)午後玄猷(げんにゅう)寺にて行います。現地委員会では、「県実行委員会」や日中愛知県連に協力して、慰霊祭の現地準備と内容の充実、強制連行にかかわる学習会の開催、調査・聞き取り活動と現地見学会の開催、犠牲者や家族・遺族との交流等をすすめていくことにしています。
            木下 大三郎
             大府飛行場中国人殉難者慰霊祭現地委員会

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