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【中国訪問記】 地崎組のウソ

   去る三月三日から八日まで、中国で強制連行の被害者のうち三名と一人の遺族を訪問した。訪問の様子は、別の記事で述べられると思うが、ここでは面会できた方々から得た情報をもとに、地崎組の外務省への報告書の虚偽の一部を書いておきたい。

 まず、給与については、「正当的的確」に支給したとあり、「一般就労期間ハ契約書ニ基ク定額五円ノ日給」を支払ったとされるが、四人の生存者は口を揃えて一切貰っていないと断言した。別の部分には「役付ニ対スル賃金及ビ食費宿舎総テ契約書通リ履行セリ」と書いているが、「契約書」は会社と華北労工協会との間で結ばれたのであり、中国人連行者は「契約書」なるものを見てはいない。

 食糧事情も、「健康保持作業遂行両方面ヨリ見テ充分ナル支給ヲナシタリ、特ニ戦争後期ニアリテハ食糧事情極度ニ逼迫(ひっぱく)セルモ常時村役場食糧営団等ト密接ナル連絡ヲ取リ遺漏ナキヲ期シタリ」と書いているが、何を食べていたかを質問すると、六十年前のことにもかかわらず、ドングリの様な粉を団子状にした汁など、貧弱な食糧をはっきり覚えていたことが印象に深かった。

 送還に際して報告書には「全員撮影ノ件」は「受諾」と書いてあるため、写真がのこっているのではと期待させたが、この期待はたちまち吹き飛んだ。
 宿泊施設も、ウソを書いてはいないとはいえ、「木造平屋柾葦」とは、屋根ではなく小屋の周囲を茅葺きとした「住居」に住まわせており、大府では1小隊30名が押し込められた円状のテントで横になれず、頭を中心にして丸く位置したという。

 また、報告書は「終戦後、華労ノ身分何等ノ掣肘(せいちゅう)ナカリシ為、自由ニ滝川、旭川、岩見沢、札幌市内ニ宿泊シ、酒色ニ耽溺(たんでき)セル者スラアリ」と述べているが、どのような手段で給与を与えられずに「酒色」に溺れたのだろうか。遠まわしにこのような状態について質問をすると、楊印山さんは「数人が女の周辺をうろついていた」が、それは内部で批判され、処罰された証言されたのであった。

 このような記述は全て中国人が帰還してから、地崎組の事務員が外務省に虚偽の報告をしたとしか思えない。報告書は、日本で入手できた唯一の文献ではあるが、資料批判を続ける必要があるのである。
                           西 秀成

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