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シリーズ 大府強制連行2-2 外務省への地崎組報告書を読む

 

外務省報告書と事業所からの報告書(つづき)

大府に来た中国人の雇い主である地崎組の事業所からの報告書は、最初に「紛争顛末書・変死者検案書・華人体格検査表」のあとで、「華人労務者顛末報告書」が綴じられている。

 紛争顛末書にあたるのは、戦後、中国人労務者が要求した現物支給に対して、物資不足などから配布遅延がおこり、中国人のデモ行進、米国人俘虜と連繋した米国の輸送機による慰問品の空からの投下、その際のトラブルなどが書かれている。中国人労務者には敷ふとん一組のほか掛けぶとん二人に一枚あてが支給されるという、北海道ということを考えると信じがたい虐待であった。

 また、附属書類として「移入契約書」があり、それは華北労工協会理事長趙と地崎組代表取締役地崎九一の契約書であった。中国人の個別の契約ではなく、労工協会と地崎組との契約である。また、五三五名のうち、大隊長一名、中隊長三名、小隊長八名などの「役職」があった。他の文書によると移動に際しては日本人軍属(訓練所顧問)一名、兵隊二名、中国人軍属二名、労工協会職員(日本人一名、中国人一名)、嘱託中国人医師一名、地崎組社員二名が付添い、青島から下関で下船すると、地崎組社員八名と警察官五名が付き従った。下関からは東海道線などの鉄道で北海道に向った。

 大府で1月16日に切土運搬作業中に2メートルの土塊が崩壊して脊椎捻挫を負った宋学海が、29日に死亡したとする死亡顛末書があり、柳田医師の診察を受けたとある。この医師は現地で開業されている柳田医院の父親泰三である。宋学海は玄猷寺で葬儀が行われたことが記述されている。

 大府では敵機の空襲を避けるために、蜜柑畑を切り払って30人用のテントをはり、炊事場のみが新築だったとされている。その他患者用のテント一張があったので、宋学海はここで最期の日を送ったのだろうか。

 ここでは、中国人顛末報告書については書くスペースがないが、機会を見て資料集として取り上げたい。
       西 秀成

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