− 県連・支部だより
愛知県連60周年記念のつどい盛大に
石川会長 記念講演で友好運動の歩みと希望語る
「日中友好協会愛知県連合会60周年記念のつどい」が10月26日、コープあいち生協生活文化会館4階ホールで開かれました。第1部で石川賢作会長が記念講演。第2部の祝賀会では来賓に中国駐名古屋総領事館から女性の康暁雷副総領事を初めて迎え、出演者も交え100人の参加者が多彩な文化プログラムを楽しみ草の根の交流を深めました。
10のテーブルが配された会場。ステージには「60周年記念のつどい 日中友好協会愛知県連合会」のポップな感じのポスター(木俣博さん揮毫)が掲げられ、来場者を迎えました。2面の大きなボードでは、これまで県連で作成してきたパネルから「日中国交回復(正常化)実現三千万署名のアピール」(1965年)や新中国の息吹を伝える映画のポスター、各界の代表団の来名・交流の写真なども。
❖パネルや茶館も
また、50年代の交流の中で得られた石川氏所有の著名な文化人・郭沫若、梅蘭芳の色紙など10数点が掲示され、机上には伊藤三朗顧問の寄贈による中国の愛らしい民俗玩具の20数点もの絵(田原さん描画)、それに「愛知きりえの会」会員の3点のきりえも飾られ、開会前や休憩時に見入る人が相次ぎました。
会場後方の「茶館」コーナーでは、県連の「茶友会」を担当する姜力さんが、笑顔でジャスミン茶など5種類の中国茶を説明しながら笑顔で振舞い、求めた人たちに「おいしい!」と好評でした。
第1部 記念講演
「つどい」第1部は冨田好弘理事長の司会で始まり、石川会長が「今日の日中情勢の打開のために」の演題で、レジュメに沿って話しました。
❖友好運動を広げ
まず「日中の問題をどう考えるのか」と問いかけ、「靖国」派の安倍・自公政権のもとで反中国の右傾化の潮流が強まっている現状を、「環球時報」(人民日報の国際版)など中国メディアの論評なども織り込みながら考察しました。
この中で、沖縄と尖閣をくくっている近年の中国側の論調に「これは非常に厄介な問題だ」と言及。そして「軍事力の相互エスカレートでなく、真摯な対話でこそ打開の方途を開くことができる」と話をすすめ、「日中友好が深まれば日米安保は存在の意味を失う」と指摘。「いまこそ、友好運動をもっともっと広げ、日本全体の平和の運動と固く結んで前進していきたい」と強調しました。
❖新中国誕生の感激
ついで、後半の「県連はどんな活動をしてきたか」で、54年の名古屋支部結成から64年に県連に発展した時代から今日までの紆余曲折の歩みをエピソードも交えて振り返りました。
新中国の誕生が当時の青年・学生にもたらした巨大な曙光。一転して60年代半ばからの「文革」が友好運動に及ぼした障害とかつてない困難。72年の国交正常化、そして尖閣問題の今日まで、変転きわまりない日中関係のもとで、青壮年の働き手たちが寝食を忘れるような日々のなか「日中友好・不再戦・平和!」の旗を高く掲げて奮闘してきた様子をあざやかに語りました。
❖大橋さんの不屈さ
最後に、「ここで大橋君について触れたい」と一言。中国との交流が断たれれ運動がもっとも困難だった時代に、名古屋支部、後には県連の事務局長として県連の旗を掲げつづけた故・大橋満男さんの略歴を紹介。66年には北京放送で「反中国分子・大橋」と名指しの非難も浴びました。晩年は県連の副会長を務めました。
4年前の10年12月に亡くなったとき、石川氏が偽満皇宮博物院の趙継敏院長に「大橋君は生前、『平反』(ピンファン=誤った判決や政治上の結論を改めること)を望んでいたとファクスで彼の急逝を知らせると、即日、同院長から『名誉回復』の弔電が送られてきた」と紹介し、盛んな拍手を招きました。
第2部 文化行事
❖石川会長の音頭で
第2部では、伊藤充久・常任理事が全体の司会を務め、鳥居達生・副会長が開会あいさつ。石川会長の音頭で「乾杯!」を行い、ささやかなオードブルと飲み物でしばし歓談の中、来賓あいさつに移りました。