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河村たかし名古屋市長の南京事件発言への抗議文

 

2012年2月24日午後、名古屋市役所を訪問し、河村たかし・名古屋市長あての抗議文(南京事件の虐殺はなかった発言に対する)を日中愛知県連の会長・石川賢作、副会長・鳥居達生、理事長・冨田好弘らが提出しました。記者クラブ参加の新聞・テレビの記者・カメラマンが取材しました。共同通信は、この名古屋市長への抗議文を英訳して、世界に配信しました。

2012年2月24日

名古屋市長 河村たかし殿
日中友好協会愛知県連合会 
会長  石 川 賢 作

抗 議 文
     
市長はこれまで、国会議員時代から一貫して、南京大虐殺の事実について否定し、名古屋市長になってからも、同様の発言をくりかえしてきた。

今回もまた、中国共産党の代表団に対して、南京大虐殺否定の発言をし、すでに大きな国際問題になっている。このような失態の基礎にある市長の歴史認識の主な問題点は以下のようなものである。

(1)当時南京市の人口は30万人もいなかった、だから30万人も虐殺できるはずはない・・。これはまったく歴史の基礎をわきまえないものであって、南京特別市は近郊6県を含み、中心の南京城区は100万人、全体の人口は150万人を越えるものだった。この地域全体が南京攻略戦の戦場になり、南京事件はこの範囲で発生した。南京近郊の農村地帯でも人びとは状況が分からず、土地と作物と家畜を守るためにとどまり、そこでも多くの略奪と婦女暴行が行なわれた。

(2)市長は、大虐殺がなかったということの根拠として自分の父親が、敗戦後、南京付近で中国人に温かくしてもらった。ラーメンの作り方も教えてもらった。だから、8年前に虐殺行為などあったはずはない、という。敗戦後に温かくしてもらったから、過去に残虐行為はなかった、というのは、中国東北部で少年時代を過ごした私個人の経験からしてもなりたたないものである。日本の敗戦後、中国は15年を越える侵略戦争の怨念を越えて、100万を越える日本人を日本に帰国させ、国家としての賠償も放棄した。過去の恨みを抑えて日本人に対応したのである。

(3)市長は南京での虐殺は「通常の戦闘行為」であると主張しているが、大虐殺、略奪、婦女暴行の事実は、当時から英米、さらには同盟国ドイツの人びとからさえ世界に発信され、知らないのは日本国民だけであった。この事実については、旧日本軍の上級将校の団体「偕行社」の出版物でさえ、多数の捕虜を銃殺や刺殺により「処分」したことを記しており、また市長が口にした「戦闘詳報」でも捕虜の虐殺が明記されている。 これらの証拠は、「目撃者がいなかったことが決定的」という市長の大虐殺否定論が根本的に破綻していることを示している。

(4)日中両国政府の企画である「日中歴史共同研究」でも、日本側は「南京大虐殺」について、犠牲者数については中国側との違いはあるとしながらも、「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣隊、および一部の市民に対して、集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」と認めている。市長発言はこれすらも否定することになる。
こうした中で、河村市長が中国側との「討論」を呼びかけてみても、その前提としての相互信頼関係が崩れ去っている。 

南京市は21日、名古屋市との交流を停止すると発表した。これは南京市と名古屋市との関係にとどまらず、その悪影響は広範囲に及び、改善には長い時間に渉る新しい努力を必要とし、これまで、われわれが営々として築いてきた民間交流の成果にも深刻な影響をもたらし、当地方と中国の深い経済関係にも悪影響を及ぼし、ひいては日中両国関係にも暗い影を落とすことになろう。今年は日中国交回復40周年の記念すべき年であり、歴史を鑑に長い友好関係を打ち固めるべき年である。

公人としての市長の誤った歴史認識と不用意な発言が名古屋と南京の両都市関係を超えて大きな問題を引き起こしたこと、またそれが長年にわたる発言の継続であることを、われわれは深刻な問題と考え、市長の今回の一連の発言に強く抗議するとともに、これらの発言を直ちに撤回するよう強く求めるものである。
 

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