− 県連・支部だより
日中友好ひとすじ 大橋満男さんを偲んで
県内外の友人ら72人が参会 追慕の情溢れるスピーチの数々
日中友好協会愛知県連で長く事務局長を務め、昨年12月に急逝した大橋満男副会長(当時)を偲ぶ会が10月29日、民主会館で開かれ、遺族を始め故人とかかわりの深かった県内外の友人ら72人が参加し、超満員となりました。主催は同実行委員会。
会場正面には墨色も鮮やかな「日中友好ひとすじ 大橋満男さんを偲んで」のポスター(李銀山さん揮毫)、前の机上には一対の花束にはさまれるように福々しい笑顔の遺影が飾られ、来会の人々を迎えました。
午後2時に開会した「偲ぶ会」では、まず、この間に亡くなった中原東四郎元県連理事長(元自治労連愛知県本部委員長)ら4人の物故者に黙祷をささげました。
45年前の北京放送
57年来の戦友・同志として大橋さんと苦楽をともにしてきた石川賢作・県連会長があいさつし、「『しおり』に寄せられた皆さまの追悼文から、大橋氏がいかに多くの人々に愛され、また多くの人の面倒を見てきたかをあらためて知らされました」と述懐。
1966年の名古屋中国貿易展で後援会事務局長の任にあった大橋さんが中国側の介入で一方的に追放された直後、北京放送が「……大橋満男氏を代表とする一握りの者が中日友好に反対し、展覧会を破壊する犯罪行為をおこなっている」と名指しで非難した録音の音声を披露し、会場には一瞬、張り詰めた空気が流れました。
参会者が交流して
東京から駆けつけた大田宣也さん(日中本部副理事長、元同事務局長)の音頭で「献杯」し、和やかな拍手の中でスピーチに。
大田さんを始め染谷三郎さん(日中東京都連副会長、元日中愛知県連常任事務局員)、岡本弘雄さん(日中和歌山県連理事長)ら遠方からの参会者と愛知、岐阜の各分野の代表10氏が代わるがわるマイクを握り、故人とのかかわりや運動を通じて身近に接した大橋さんの日中友好への情熱、天性の楽天家ぶりや心優しい人柄などについてエピソードも交えながら語り、参加者同士の交流と相まって大いに盛り上がりました。
大橋浩二さん歌う
遺族を代表して、大橋浩二さんが母親の茂子さんと並んで立ち、「多くの先輩の皆さまから父にたいする温かいお褒めの言葉をいただき、目頭が熱く懸命に涙をこらえていました」とあいさつ。「私が父から受け継いだものはあまりないのですが、歌が上手だったところだけ何分の一か継いでいますので…」と、「千の風になって」を独唱し、喝采を浴びました。
なお、会場では、1966年12月に愛知県連が発行したパンフレット『名古屋中国展問題の真相』を急きょ復刻したA4版の冊子(頒価300円)を60余部普及。参会の皆さんに手渡した「しおり」(『日中友好ひとすじ 大橋満男さんを偲んで』)(頒価1000円)は残部僅少です。