− 県連・支部だより
45年ぶり 「白士会」画家たちとの出会い
タイムスリップしたような感慨に浸る
2月23日の「中日」に、「名古屋白士会50周年展」「常に日本画の最先端、記念誌も発行」という見出しを見つけた私は、1965〜66年の県連のファイル「白士会」を抱えて県美術館の会場に駆けつけました。
64年に県連が結成されて間もない時期、私は国交のない中国へ我妻碧宇(あづまへきう)さんたち「白士会」15名の中国写生旅行を実現するために努力しました。
「白士会」は65年12月の声明文「白士会研修旅行(中国)について」の中で、中国を日本文化の「師表」として尊敬し、近世現代の優れた日本画家のほとんどが中国古典の中から自らの好む画風を摂取した、と述べています。「師表」という、やや古めかしい言葉の中に、師匠であり手本であるという敬意がこめられています。
会場に駆けつけ、「昔のことをご存じの方を」と言うと、会場にいた道家珍彦(どうけうずひこ)さんら2名の方が、この中国旅行に参加したと言われ、参加者全員の自筆の履歴書や声明文を懐かしそうに眺め、また、団の秘書として随行した協会員の植木定守さん(小牧市在住・故人)の名前も覚えておられて、国交のない時期に中国に画家を送る努力をしたことへの感謝がのべられ、画集『白士会 結成50年』を県連にいただきました。
広い会場には、我妻碧宇さんの「北京風景」という題の、四合院の門とその前に座る老人が、黄砂の風のなかに浮かび上がるような大作や、森緑翠さんの「蘇州民家」などが1967年の作品として展示されており、1966年の旅行の成果が表わされた作品を前にして、私は半世紀前にタイムスリップしたような感慨に浸りました。少し後の他のメンバーの作品にも、中国の民家や中国服の婦人像などがあり、この会の人びとの中国への思いをみることができました。
<2011.3.15>