− 県連・支部だより
【10.12.15】漫画展 - 「私たちの引き揚げ」 会場で語られた“ひとこと”集
「私たちの引き揚げ」 会場で語られた“ひとこと”集
◎…漫画展に姉妹で参加、私は牡丹江で生まれる、妹は母のお腹で引き揚げ、母は丸坊主にしていた。お母さんの大変さをこの展示の作品を見て実感した。
◎…父は満鉄関係の仕事で中国人に優しかった。「日本が見える所まで行こう」と必死で東に向かって逃避行が始まった。日本海に父が作った筏に子ども2人が乗り、母と4人で何時間も泳いだが絶望的で引き返し、地獄の逃避行の末に帰国した。
◎…長春の国民学校で学んだ。五十嵐昭さん(日中県連理事)の後輩と分かった。満鉄で働いていた父がいたから家族みんなで帰れた。
◎…逃避行の時、「ソ連兵に捕まったら飲め」と、みんなに青酸カリが渡された。夜泣きする子どもには唇に塗っていたが、夜が明けると紫色に変わって冷たくなっていた。
◎…逃避行の中で男の子を200円で売っていた。優しい中国人に育てられて成長した人も多い。
◎…父が満電で働いていたので5人とも違う所で生まれた。親が話さずに亡くなったので、何があったのか知りたくて来ました。
◎…「満州」「満州」といわれるが、何なのか知りたくて…。自分のル-ツでもあるので。
◎…父が軍人で虎林から戦地へ。極寒の中、母と5人の子どもで逃避行。早い時期に下の妹と弟が死に、間もなく母も亡くなり、残された3人の子どもは中国人に預けられた。大切にしてくれた中国人の恩に感謝しながらひとり引き揚げた、数年後に父が帰国。それから50年後に2人の妹が残留孤児として帰国、再会を果たした。