− 県連・支部だより
現地スタッフの連日の活動
追悼式典の成功を献身的に支える
(2010年3月の訪中調査団と生存者と再会を喜ぶ)
前号で既報のように、大府飛行場中国人強制連行・強制労働の第2回殉難者追悼式典は、9月18日、東海市の玄猷(げんにゅう)寺で厳粛に行われました。
今回の追悼式典は、中国から生存者の唐燦(さん)さん、楊印山さんとそれぞれのご家族を迎えて執り行われたことが報道陣からも注目されました。
いま一つは、現地実行委員会(共同事務局=品川禮佑、竹内テル子、木下大三郎の3氏)を中心に東海、大府両市の広い地域から、前回にもまして大勢の人たちがスタッフとして参加したことです。
現地のみなさんの活動は、追悼式典を献身的に支え、これが第1回慰霊祭(当時の呼称)を上回る150人余の参列者という大きな成功につながりました。
生存者とその家族の移動の保障、案内の立て看板づくりと会場近辺への看板立てから、追悼式典会場(玄猷寺本堂)の横断幕づくり、会場設営、車の誘導と駐車場管理、受付、本 『【調査報告書】愛知における中国人強制連行・強制労働生存者と遺族を中国に訪ねて』(頒価1000円)の販売、そして後片付けまでの多岐におよぶその活動は、一般参列者の目に映らない持ち場をふくめ、中国からの客人の一行にも深い印象を刻んだようです。
現地対策委員会には、唐燦、楊印山、楊福荘、唐元鶴の各氏からそれぞれ便せんにしたためた礼状が寄せられました。同委員会の「FAXニュース」9月25日付が伝えたメッセージの全文を次に掲載します。
現地委員会へのメッセ―ジ
85歳の時に非常に幸運にも名古屋へやって来ました。
日本の方々に感謝します。 2010・9・19 唐 燦
日本の友に贈る:
中国の亡くなった労働者の供養に際し、日本人民に感謝の意を申し上げます!
中日人民が永遠に友好的でありますように!
河北省定州市
楊印山 楊福荘
9月18日という意義のある記念日に名古屋で第二回大府飛行場中国人殉難労働者の追悼式典に参加し、あまりにも多くのことを感じて一言では言い尽くせません。
この度、私は日本人民が中国人民と同じくみな平和を熱愛し、戦争を恨んでいることを、戦争は両国の人民を極めて大きく傷つけるものであり、みな両国の人民がいつまでも平和で友好的につきあっていくことを望んでいるのだということを強烈に感じました。
日中友好協会愛知県連合会の友人たちは中日友好のため、当時の中国人労働者が権利を主張するため、とても大きなお仕事をなされました。みなさまのまじめさやご努力、熱心で友好的な態度は、日本に来る前には想像しようもないことでした。
とりわけ木下大三郎さんが数日間とても熱心に周到にお世話してくださったことに感謝します。すべてが私にとても深く忘れがたい印象を残してくれました。木下さんが奥様と一緒に中国にいらっしゃることを歓迎します。奥様のお手紙、ありがとうございました。奥様の書かれる文字はとても美しいですね。私は貴重なお土産として大切に保管します。
昨日、追悼式典が終わった後、竹内テル子さんと星野ふくよさんが私に恋々として別れを惜しんでくださいました。機会がある時に彼女たちに私の心からの感謝の気持ちをお伝えください。
中日友好が永遠に栄えますように!
木下大三郎さんが ご健康でありますように!
唐 元鶴
以上山田花尾里訳
これとは別に、一行が帰国する20日朝、見送りの八木幸夫日中県連事務局長に、唐燦さんの息女・唐元鶴さんが礼状を手渡しました。その全文(石川賢作訳)を別項で紹介します。
昔は囚われの身、今日は賓客となる
この数日間、本当にご苦労様でした。私は皆さまが中日友好のためになされているご努力に感激いたしました。私は長く皆さまのことを心に刻み、帰国してからは、中国人民に、私なりのやり方で日本人民の中国人民に対する友誼を伝えます。一衣帯水の中日両国の間に永遠に戦争が起こらぬこと、両国人民の友誼が永遠に続くことを願っております!
私の父について言えば、「昔は囚われの身、今日は賓客となる」であります。私はここに、父に代わって皆様に心からの感謝を申し上げます。
貴方とご家族のお幸せ、ご健康、ご長寿をお祈りいたします。
唐 元鶴