− 県連・支部だより
中国人の生存者を強制労働の当時の現場を案内
昔日を思い感慨無量に!
(上の写真は、強制労働させられていた中国人の住まいの天幕張られていた場所)
大府飛行場で強制労働させられた唐燦さんと楊印山さん、ご家族の一行4人が16日深夜に中部国際空港に到着した翌朝、現地対策委員会共同事務局の木下大三郎さんが運転する大型の車で、通訳の王カナさんを含め私たち7人は大府に向かった。
途中、三菱重工業(大府飛行場の航空機を製作していた)など名古屋南部の工業地帯を木下さんの説明を聞きながら通った。
最初に、追悼式典が行われる東海市の玄猷寺を訪問した。住職の星野道雄師と奥様が快く応対してくださった。木造の大きな山門が、建築中である。
残りの檜の砕片を使って彫った握り観音(円空仏に似た、手で握れる大きさの観音像)を、唐さん、楊さんに奥様がプレゼント。握り締めるだけで功徳があるとのことである。さらに奥様から中国へのお土産にと、それぞれ20体贈られた。ご両人は、日中友好の何よりのお土産と大変嬉しそうであった。
次に訪れたのは、強制労働で亡くなった5人の方の火葬が行われたところである。かぶと山古墳―そこはうっそうと木々が繁っている―の北側は墓地である。木下さんの説明を聞きながら火葬の跡地にみんな見入った。唐さん、楊さんは終始無言であった。
地図を頼りに強制労働の現場に行った。いまも一面みかん畑で,その脇を大きな道路が走っている。無口だった楊さんが、突然、激しくしゃべりだした。当時は、収容所といってもテントが張られていただけであった。
唐さんと楊さんは、こもごも「周辺はまったく変わっている。あのころのいろんなことを思い出して感慨無量。ここに再び来られるとは思いもしなかった。戦争がなかったら、あんな苦労はせずにすんだのに…」と語り、「日中友好に感激した。われわれの苦労を日本人に伝えることができてうれしい」と言葉を継いだ。
愛知対策委員会 代表委員
鳥居 達生