− 県連・支部だより
【08.01.31】私の日中友好運動の歩み
その〈4) 元愛知県連事務局長 大橋満男
内山完造の「中国講演と映画の夕べ」大成功
それから間もなくして原田さんは東京に行かれたが、同じく中国から帰国した鉄道測量技師の吉田廣行氏が事務局長を半年務めた。
引き揚げてきた帰国者に、厚生省は名古屋市港区の土古町に帰国者住宅60戸、清洲町に10戸、小牧に10戸、高蔵寺に10戸と100戸を建て応急措置をとった。
帰国者は愛知県や名古屋市に自分たちの要求実現のため、帰国者連絡会を組織して会長に小牧住宅の植木定守氏を選び、活発な活動を展開していた。
私は4月の内山完造の「中国講演会と映画の夕べ」のチラシと会員券(50円)配りに奔走し、駅前の中小企業会館は満席となって、講演会は大成功であった。会員券を配る活動の中で、帰国者は一様に「本来なら日中友好の活動をしないといけないが家族もあり生活を優先しなければならず充分な活動ができず申し訳ない。せめて食事ぐらいしていってほしい」とありがたい申し出でに遠慮なく食事をいただき感謝々々であった。
内山完造の「中国問題講演会と映画の夕」が成功した後、7月の日中名古屋支部結成へ向けた活動が始まった。しかし、私の寝泊まりする服部染色工場が倒産し、3ヶ月お世話になった倉庫を引っ越す羽目になった。
(以下続く)