− 県連・支部だより
【08.01.31】私の日中友好運動の歩み
その(3) 元愛知県連事務局長 大橋満男
名古屋の冬は底冷えが厳しい!
産別会館の名古屋支部準備会を訪問!
いくら中国の寒さに耐えてきたとはいえ、二月の名古屋はさすがに寒く、底冷えする倉庫で中国から持ち帰った綿入れの人民服に毛布を被っても骨の芯まで寒さが凍みわたって寝られたものでなかった。
柏崎からの所持金は、舞鶴の引揚援護局で貰った1万円の残り、5千円が財産のすべてであった。当時、生活保護費が3千円の時代の時、節約して活動すれば3カ月は持つだろうと決め、午後から工場の自転車を借りて出かけることにした。
初めに尋ねたところは、栄の三越デパートのところにあった産別会館(現在新栄の民主会館)に平和委員会と同居していた日中友好協会名古屋支部準備会を訪問し、準備会事務局の原田士冀夫さん(元労働基準監督署署長)から現状を聞き、名古屋に引き上げてきた帰国者のところを回ることから活動を始めることにした。
話も終わった帰り際に原田さんが「大橋さん、日中の専従をやらないか、専従費なら2千円ぐらい出るよ。ただし自分で稼がなければならないけれどね」という誘い。まだ覚悟はできていなかったのでお断りした。 (以下続く)