日中文化交流

中国の旅

平和と友好の中国東北旅行 

ハルビンから長春へ

前回は『悪魔の飽食』で有名な731細菌戦部隊の跡を訪ね、献花し平和の祈りを捧げました。また歴史的建造物の見学などを通して日中の文化の共通項と相違を体験し、相互理解の大切さを想いました。3日目はハルビンから長春へ向かいました。

3日目の5月20日は長春へ

   3日目の5月20日(金)、長春への移動日です。最低気温7度との事前案内にセーターまで用意したのに出番はありませんでした。
 昼食の東北料理の店「向陽屯飯館」は壁に文革時代の人民公社の様子が風刺的イラストとして描かれるなど(下の写真)、興味深い所でした。

偽満皇宮博物院

   長春の「偽満皇宮博物院」は20年前とはまるで違っていました。現在の駐車場はかつて近くの食糧集積場でした。細長いスイカがすぐ食べられるよう見事に切り売りされていました。また、溥儀が盗聴を警戒して忌避していた黄瓦の同徳殿は修復中で立ち入り禁止でした。
 今回、博物院の敷地の広大さと関連施設の多様さに驚きました。日本の侵略の中での博物院の位置づけや詳しい説明が聞け、傀儡にされた皇帝・溥儀が平民になるまでが分かりやすく説明されていました。
 ここの研究所で仕事中の石川賢作会長から連絡が入り、急に慌ただしくなりました。面会のみと思っていたら、中まで招かれ院長じきじきに大変な接待を受けました。18年余に及ぶ石川賢作会長の協力が評価されて猝祥生Φ羇朧瓩嶺杤顱壁従款)が授与されました。

長春理工大学へ

   長春での宿泊はこだわりの「春誼賓館」(旧大和ホテル)。長春駅のほぼ正面に位置し、ロシア風のフロントに日本式客室がつづいていました。
 4日目の5月21日(土)、長春駅から軽軌鉄道に乗って家田修さんが4年間日本語教師として活躍された長春理工大学へ向かいました。みずから切符を買って一般客として乗る体験は緊張感がありました。降車駅まで出迎えて大学まで案内してくれた学生たちの熱烈歓迎ぶりにはとても感動しました。 
 学生たちが、牴氾掴兄姚瓩箸隆況磴梁侈未鬚垢觧僂砲眷いものを感じました。 

有意義だった若者との交流

  長春理工大学での歓迎会は、相互のあいさつから理工大生によるスライドでの長春の紹介、文化交流へと進みました。中国の太極拳、二胡と歌、剪紙の披露、日本文化紹介では木俣さんが「いろは歌」をひらがなで揮毫、家田麻里さんが兜の折り紙をし、最後は100人を越える参加者の日中両国語の歌詞による『北国の春』の全員合唱で大いに盛り上がりました。
 午後からは、長春理工大学の学生と小グループで行動しました。市内で昼食をとり、牡丹園などを案内してもらいました。歩きながら結婚観や将来の希望を聞きました。グローバリズムによる世界の平準化でしょうか、日本の若者とあまり変わりはないと感じました。

異文化体験

 各グループが春誼賓館に戻り、希望者が家田さんの案内で回りの古い日本建築を見学しました。夕食は「蒙古人緑野山庄」というモンゴル料理の店で羊の丸焼きを食べました。苦手な人もいましたが、これも異文化体験でした。夜は18人が『二人転』のオプションに参加しました。
 中国の交通事情を知ろうと長春駅に行くと、切符売り場の電光掲示板には4〜5日前からの売り出し分が表示され、切符を買う人たちの長蛇の列がありました。改札口は離れていて、荷物は空港のようにスキャンされていました。これでは発車間際に列車に飛び乗るといった日本のような芸当はできそうにありません。

アカシアの花咲く中を撫順へ

   5日目の5月22日(日)、長春を出て撫順に向かいました。途中の休憩地では白いアカシアが咲き誇っていました。やがて所々に田植えの風景が見られるようになりました。
 4時間のバス移動中、ガイドの湯さんの提案で参加者全員が自己紹介と旅の感想などを順番に話しました。そこには参加者各人の多様な人生が凝縮されていて貴重な時間でした。

撫順炭鉱

   昼食の後、公園から見学した撫順炭鉱、最盛期には日本の総石炭産出量の4割を占めたと言います。その露天掘りの現場は巨大すぎて却って実感しづらいほどでした。よく見ると鉄道の引き込み線がはるかに小さな模型のように伸び、露天のこちらからむこうの端までが全長4〜5劼傍擇屬畔垢ました。そして、いまだに採炭しているのには驚きました。
 戦時には、多くの中国人労働者が酷使されたと湯さんが説明しました。

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