− 交流
母国のお客さんの二度の通訳をして
日本へ来て、ちょうど二年目になります。この一年の間に楽しいことや悲しいことがいろいろありました。日中友好協会の友人達はいつもそばにいて、相談に乗ってくださって、感動、感謝の気持ちでいっぱいです。
今年の8月と9月に、とても印象深いことがありました。それは、二度、通訳として日中友好協会のイベントに参加したことです。8月には、偽満博物院の研究員達の通訳として名古屋で行われた戦争展に参加しました。今度の戦争展では、満州鉄道のことがテーマとして扱われました。
中国人として、正直に言うと私はずっと戦時中、日本軍は中国の東北でいろいろ悪いことをやったけれど、満州鉄道だけは交通不便の東北にいいことをやってくれたと考えていました。
でも、研究員の話を聞き、満州鉄道は間接的に中国東北の交通を便利にさせたが、主な目的は東北の資源や財産を奪うことだ、ということが分かりました。
研究員と一緒に、戦争展を見に来た日本の高校生にインタビューをして、日本の学校では戦争のことを教えない、日本政府はずっと戦争のことを隠そうとしていることを知りました。それにしても、日本の若者が戦争展に来てくれただけで、嬉しかったです。
9月には、強制連行問題を研究している学者と大府飛行場の工事でなくなった人の遺族の方の通訳として、追悼式典にも参加しました。強制連行のことを私は昔ある日本共産党の友達から聞いたことがありますが、まさか自分もこういうことに関るとは思いませんでした。でも、参加して本当によかったと思います。
まず、戦時中に日本まで拉致された青壮年労働者の数の多さに驚きました、次には彼らが日本で過ごした悲惨な生活に心が痛みます。でも、日中友好協会の皆さんや、日本と中国のたくさんの弁護士、学者が強制連行された人たちのためにがんばっている姿を見て、私はとても感動しました。 少しでも、自分の力を生かして、協力したいと思います。私は通訳としては、まだまだ未熟ですが、この夏休みを有意義に過ごすことができ、勉強になりました。日中友好協会の皆さんありがとうございました。
張 夢真