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中国の旅

中国東北部(旧満州)旅行記(2)

中国政府が建立した日本人公墓 波乱の来歴知り胸熱く

 今回の旅行では、引き揚げ途上で亡くなった人々が眠る方正地区日本人公墓や自らも残留孤児であった遠藤勇氏が建立した中国養父母公墓を訪ねることができた。私は、道端にそっと立つ質素な石碑を想像していたが、広い敷地に林立する木々の中で守られていた。広い敷地と林は、縁のある日本人の寄付により次第に大きくなり、一人の専任職員によって守られていた。そして、とても大切にされている印象を持った。

なぜ開拓民たちが方正「ほうまさ」を目指したのかと言うと、当時関東軍がいて食糧基地があるという理由だった。しかし、関東軍は撤退した後であり、すぐに酷寒の冬が来て、体力のない人々が次々に死んでいった。

春になって凍った遺体が溶け出すと県政府は4500体を火葬してくれた。また、方正の収容所にたどり着く前に山で死んでいった累々たる白骨の山をみて、どうしても埋葬したいと思った残留婦人の願いが県政府から中央政府に届き、最終的に周恩来総理に届いて「方正地区日本人公墓」が建立されたそうだ。

方正県の公墓は、中国政府が建立した唯一の日本人公墓である。遺骨を集めて公墓を作った方正県の人々は文化大革命時代に批判を浴び、つらい体験をしたと聞いた。にもかかわらず現在に至るまで「公墓」が大切に守られていることに、胸が熱くなった。

実は私たちが旅行する直前に、この地方はひどい水害に見舞われていた。水害の被害を食い止めるための緊急対応が求められている事態を前にして、私たちの「公墓」訪問受け入れを断念せざるを得ないと判断されかけたとき、一人の政府関係者の善意で訪問が実現した。

私たちの訪問団は少しでもそれに応えるべく、少人数ではあったが、車中で緊急募金が呼びかけられた。1020元の少額ではあったが、温かく受け入れてくださった方に、募金が届けられた。そればかりか、お土産までいただくことになり、感謝の気持ちでいっぱいになった。
      (つづく)
日本福祉大学中央福祉 専門学校 永井淑子

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