− 中国の旅
武漢・南京の旅(2)
江蘇省人民対外 友好協会を訪問
徐龍副会長と扈海鴎秘書長から歓迎の宴を開いていただいた。二人とも日本語が達者である。
中日友好会館の一室で30人が一つの丸いテーブルを囲んで宴は始まった。徐会長は「江蘇省の人口は8千万です。日本との経済的、文化的結びつきは太く、近時大きく発展してきています。このような情況の中で南京虐殺を否定する河村名古屋市長の発言を大変残念に思う。しかしながら、日本との交流は引き続き続けたい。日中友好協会愛知県連合会が河村発言に対しいち早く抗議されたことは良く承知しており感謝します」と述べられた。
私は、河村発言に対する愛知県連の見解と市長に対する抗議行動を説明し、最近の主な活動(8月の戦争展、中国人強制連行問題など)を紹介した。また日中友好協会の文化交流の一環として「きりえ展」を開きたいと要望した。これに対し徐副会長は、「その件は、すでに承知しています。日中友好協会本部ともよく相談し、秋ごろまでにきりえ展を実現します」と心強い返事であった。豪華な中華料理と銘酒をご馳走になり、和やかな日中友好であった。
南京市人民対外友好協会を訪問
代表団(鳥居達生団長、冨田好弘副団長、八木幸夫秘書長)は南京市庁舎を訪ねた。曹文堂副会長と孫曼友好工作処処長(外事弁公室)が応対された。
曹副会長は「河村名古屋市長は南京訪問団の前で中国国民を傷つけました。残念であり、悲しく思う。河村発言は交流に支障をもたらしています。双方の努力によっていずれ障害はなくなるにしても、名古屋市との公的な交流は一事中止にしました。しかし禍が福に転ずるように望んでいます。」
「日中友好協会愛知県連合会が、最初に河村名古屋市長に抗議したことは、新聞でも読みました。日本のいろんな団体が河村市長に抗議していることを知ってうれしく思います。南京市を支持する手紙も受け取りました。南京市は名古屋市と公的交流は一事中止するにしても名古屋市以外の交流はたくさんあります。名古屋市との民間交流は従来どおり続けます。2014年、南京市は青少年オリンピックを開きます。南京市と名古屋市の関係が元に戻ることを願っています。南京市民は、平和を愛し二度と傷つけられたくありません」と語られた。
最後に曹副会長は、我々に「ご声援ありがとう」と謝意を表された。
侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館を訪問
この長い名前の記念館を単に虐殺記念館と呼ぶ。
記念館の玄関の大きな黒い石の壁には30万人虐殺の文字が刻まれている。その壁の前に日中友好協会愛知県連合会の名で献花し一同黙祷した。
旅行社の湯福啓さんの案内で館内を見学した。湯さんの解説は懇切で熱が入っている。 館内の資料として、生存者の証言録はもちろんあるが、その多くは当時の日本の新聞、雑誌、報道写真、日本兵の手記、及び欧米記者の虐殺の記事である。記念館が建てられたところの一部は、当時、池であって、そこに死体が投げ込まれたとのことである。工事のときに、何層にもわたり白骨があらわれた。白骨累々の現場が残されている。
また日本軍が侵略した際、揚子江河畔に追い詰められた住民や国民党軍が日本軍の機関銃の一斉射撃で、数万人の単位で殺されたという小さい記念碑も広場の一角で見かけた。
見学の途中を抜けて代表団3人は朱成山館長を表敬訪問した。以下は朱館長が言われたことである。 「河村市長の発言は間違いです。中国国内に怒りの声が確かにあります。石川会長(日中友好協会愛知県連)の抗議文は、こちらに届いております。南京事件は国際的にも認められています。記念館のホームページにもそのことは載せてあるので見て使ってください。
このような時期に記念館を訪問していただいて、感謝します。大多数の日本人は南京事件を認めています。今年は中日友好国交正常化40周年です。あなた方が中日友好を続けられ貢献されることを願っています」
記念館を出ると広い芝生の庭があり、高さ十数メートルの白い大理石の女神が建っている。左手に小さい子どもを抱き、右手を高く掲げ白い鳩が止まっている。永久に平和を願う祈りの場である。
記念館前で黙とうする旅行団
わが子を探す母親の像
敷き詰められた一つ一つの石は、犠牲者を表す
孫文眠る中山陵へ
南京の東に名峰紫金山がある。その麓に中国革命の先駆者孫文の墓がある。
墓のずっと手前に大きなバスの停留所があり、土産物屋が並んでいる。大勢の観光客、参拝客が押し寄せていた。神聖な墓では排気ガスを出す車は通行禁止である。林の中を子どもや老人のためか小さな電車が歩道と並行して走っている。両側は常緑の特有の松林(案内人によれば雪松)である。そこを過ぎると巾30メートルほどの広い参道があり、三百数十段の階段からなっている。階段一つが100万人を示しているというから孫文が亡くなった頃の中国の人口は3億9千万余ということになる。因みに現在は13億人。
入口の門から遠くに見える墓所の建物は広い参道に相応しく大きい。形は単純。壁は白く屋根は深海のように青い。階段を登りきると絶景が開けている。遠くの山なみには春の霞がかかっていた。三民主義(民族主義、民権主義、民生主義)を唱えて革命を起こした孫文に対する中国人の尊崇の念は深い。
(武漢・南京の旅団長 鳥居達生)
平日でも賑わう中山陵