− きりえ
「きりえ」運動草創期の思い出(4)
非常事態のなかでの取り組み
きりえ運動を考えだしたときの協会を取り巻く情勢はAさんの言うように非常事態でした。
「きり紙運動を取り組もう」だけの簡単な提起ではみんなの納得は得られない。そこで、Aさんや石川さんとも話し合って事務局長案をつくり本部常務役員会議で賛成を得ました。次のような趣旨で説明しました。
「本部自身は暴徒の襲撃(善隣会館事件)で不眠不休の本部防衛に明け暮れ、地方の様子がわかりにくくなっている。地方組織では本部支援、地方組織の防衛にあけくれ、多くの会員の要求である楽しい文化活動などは皆無に近いと嘆いている支部もある。これでは組織が細るばかりだ。いまこそ本部防衛には全力で取り組みつつ、一方で、会員や協会の周辺の人たちの要望も考え、自主的な立場の新たな多彩な文化活動の創造にも全力をあげようではないか。これも真の友好運動と友好協会を守る道である。その一つとして提起を考えたのは、きりがみ創造活動である」と述べ、「日本の伝統文化を生かした文化活動でもある」と、強調しました。
将来展望として、「日中関係が正常化した暁に中国の剪紙と共同の展示会を、東京と北京で開きたい」。
この提起の中で、多くの質問をうけたのは、日本の伝統切り紙の存在や、それが「日本の伝統文化」であるということでした。
やがて、きりがみ運動の方針と友好新聞のコンクール計画について本部常任理事会の承認をうけ、全国的な運動へと歩みだしました。
橋爪 利次(元本部事務局長) つづく