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民工列車同乗記 河南から上海まで

民工列車同乗記 河南から上海まで  中京大学:塚本隆敏  

 大半のみなさんは、民工列車と言っても、ピンとこないと思います。中国では知らない人はいません。民工とは農民工で、農民が都会に出稼ぎに行く人のことです(現在、約2億人います)。

 これには二種類あり、一つは完全に自らの土地を保持しながら、都会に行って、農村の年収より、一般的に多くの年収を得ます。この人たちは、必ずと言っていいほど、故郷に帰ります(その子供は都会に残りますが)。もう一つは完全に土地を地方政府に収用され、やむを得ず、都会に行って働きます。この人たちは大半が都市近郊の農民で、都市化によって土地を手放さざるを得ないのです(失地農民と言われております)。
 
 こうした人たちのうち、前者の人たちは、大半が内陸部から、例えば四川省、湖南省、安徽省、そして河南省(中国で最大の人口を持つ省)の農民が、沿海部に行きます。そうした人たちは、大半がとても安い切符の列車に乗って、しかも必ずと言っていいほど、夜行を利用します。
 
 私は2008年2月中旬(春節・旧正月のあとで)に、河南省南部地域の農村調査をしたあと、ある田舎町から、午後3時頃、上海行に乗車したのです。あとで分かったのですが、この列車は一般的に言われている「民工列車」だったのです。当然、普通列車ですから、各駅から大きな荷物を持った農民たちが乗ってきたのです。食事などを済ませ、9時頃にトイレに行ったのですが、トイレが閉まっており、2〜3度行ってみたが、いつも閉まった状態であったのです。その状況を見ていた農民が、ドアをドンドン叩き、開けてくれたが、その中に、荷物を持った農民が2人いたのです。つまり、立ち席切符の人たちは通路やデッキ、トイレに乗るのです。私が席に戻ってみたが、自分の席が分からず、ウロウロしていたら、農民が教えてくれ、少しの間、立ち続け、3人がけの席が4〜5人となっている席に、私もその一角を占めて座ったのです。

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