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南京大虐殺名古屋証言集会

南京大虐殺名古屋証言集会

   昨年12月7日午後6時半からイーブル名古屋で83歳の陳徳寿さんを迎えて南京大虐殺時の体験を聞きました。証言に陳さんの孫娘と南京虐殺記念館の職員一人も同席しました。通訳は南京出身で現在名古屋で働いている王リリさんです。この証言集会はもう20年近く続いています。出席者は110人で会場は満室となり、例年になく若い学生が目立ちました。

 陳さんの証言
 「南京事件当時、私は数え年6歳、父は服の仕立て屋を営み家族8人平穏に暮らしていました。1937年12月13日、日本軍が南京に侵入し、四方から火の手があがり、町は炎上しました。父は、消火に駆けつけましたが、その時日本軍に殺されました。28歳でした。
 家に日本軍がきて抵抗する叔母を殺しました。24歳でした。母は丁度出産して寝ていました。日本軍はその布団をはぎ取りました。一家の大黒柱を失って、途方にくれました。幼い二人の弟妹は里子に出されましたが間もなく病死しました。祖母は養老院に行きました。」
 陳さんは、新中国になってから少しずつ暮らしがよくなり、現在幸せに暮らしていると話を締めくくりました。

 通訳の王さんの証言
 「私の祖父は南京事件当時18歳でした。日本軍がきて近所の男たちを一か所に集め三列に整列させました。そして銃剣で刺しまくって男たちを殺しました。祖父は3列目におり体の数か所を刺されましたが幸い急所を外れました。それでも一緒に倒れ死んだふりをしました。実際、意識不明となりました。夜、意識を取り戻し、周りに日本軍がいないことを確かめ逃げました。若かったので自宅養生で命を取り留めました。」
 これらの証言ののち日本人二人(女子)と中国人の学生二人が聴衆の前で感想、意見を述べました。日本の女子学生は、このひどい話をはじめて知ったと声も出ず、涙ぐんでいました。
 「中国人といえば、怖いなど悪い印象を持っていた。しかし中国人留学生と友達になったり、中国人の先生の授業を受けたりして、悪い印象は薄れ、今では同じ人間として接することができるようになった。中国人留学生からは、大部分の日本人は親切だけど、時に中国人蔑視を感じることがある」と。
 これを受けて、会場から次つぎと感想や意見が出ました。その二、三を紹介します。
「中国が悪い、怖いという風潮を作りだしているのは主としてマスコミである。戦時中戦争を賛美したのもマスコミだ。だからマスコミが悪い。」それに対して記者(毎日新聞)から、「記事は一方的な宣伝ではない。常に読者の気持ち、社会の風潮を考えて書いている。よい記事はほめてもらいたい。悪い記事は批判してほしい。相互の努力がマスコミをよくすることになる。」との発言がありました。
                     鳥居達生

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