県連活動ニュース

県連ニュース

2016 あいち・平和のための戦争展

「安倍政権の暴走許さじ」の決意あふれ

 「2016あいち・平和のための戦争展」が8月11〜14日、名古屋市公会堂4階ホールで開かれ、猛暑をついて1800人以上が来場・交流しました。主催は日中県連も加わる同展実行委員会(倉橋正直代表、約40団体)で、25回目。
 会場正面のメーンステージには、昨年につづき「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」(日本国憲法前文)と、戦争展のテーマが。戦後71年の夏、安倍自公政権が昨年9月に強行した戦争法(安全保障関連法)から最初の戦争展らしく、不再戦・平和へ改めて強い決意が示されました。

焦点の沖縄問題で

 同ステージでは、実行委員会企画の特別展示で「辺野古から沖縄・日本を考える」を、戦争と平和の資料館「ピースあいち」が30余枚のパネルで告発。ステージ前の両サイドでも、「沖縄・その歴史と今」(沖縄について考え・連帯する「命どぅ宝」の会あいち)、「和解勧告と辺野古・米軍基地と人権」(あいち沖縄会議)と、焦点となっている辺野古、東村高江の住民のたたかいに象徴される沖縄の姿を直近の写真で確認することができました。
 初日は午前10時からロビーでオープニング企画が。愛知朝鮮高校生の女声二部合唱で「トラジ」と「アリラン」をアレンジした美しいコーラスを披露。「アリラン」の踊りではフロアから飛び入りもあり大いに盛り上がりました。
 会場では、「日本の軍拡と世界」「平和な世界を求めて」など4つの柱のもと10のブースに別れて、平和・民主団体や市民グループなどが各々とりくんでいるテーマで写真や絵、戦時中の生活用品や米軍の岡崎空襲で投下された焼夷弾の残骸などの資料が豊富に並べられました。

県連  関東軍100部隊の悪行を告発

   日中県連は、「日本の加害責任」の部で「悪魔の731部隊と100部隊」を紹介。森村誠一の作品で知られる731部隊の犹佶絖瓩箸い錣譟∈拔殃軸錣鮴渋い靴討い心愿豬蛎茖隠娃杏隊の隠された「事跡」を掘り起こし、その概要を6枚のパネルにまとめたもの。参観者からの質問には県連の役員が説明に当たりました。
 4日間で16のプログラムが目白押しだったピースステージ。県連は「長春の関東軍100部隊の秘密を探る」と題して趙継敏・偽満皇宮博物院副院長の講演会を開き(別項)、140人が参加しました。講演の冊子『日本がかつて長春に作った極秘の部隊 この100細菌部隊の遺跡の秘密を探る』(趙継敏著、石川賢作訳頒価300円)も130部を普及しました。
 ピースステージでは、琉球新報東京支社の新垣毅報道部長の講演「沖縄の基地問題の今」が180人で超満員となりました。安倍自公政権の強権的な新基地建設とそれに反対する県民大多数の意志とのせめぎ合いから「オール沖縄」が生まれ、翁長雄志知事を先頭に島ぐるみのたたかいに発展している状況をリアルに報告。「安保体制のもと沖縄問題は日本の縮図であり、爛ール・ジャパン瓩濃戮┐討いことが不可欠だ」と訴え、共感の拍手を呼びました。

「長春の関東軍の100部隊の秘密を探る」

   戦争展での偽満皇宮博物院趙継敏副院長の講演の要旨は以下の通りです。

 関東軍の極秘の100部隊は、悪名高い731部隊の姉妹部隊で、その実態は現在もよく分かっていない。1931年9月18日柳条湖事件(満州事変)の後、関東軍は細菌戦の研究のため、ほぼ同時に731部隊と100部隊を立ち上げた。731部隊(ハルビ
ン郊外)はマルタと称して生きた人間(中国人、ロシア人など)を実験に使ったのに対し、100部隊(長春市郊外)は主として馬やネズミなどを利用した。
 100部隊の研究員は軍医、獣医、陸軍技師など理科系出身であり陸軍獣医学校、東大伝染病研究所とつながっていた。
動物の細菌実験のために年に一万頭の馬が使われ、常時2000頭の馬を飼育していた。このほか牛、羊など家畜が使われた。ネズミなど小動物は数万匹。少人数ながら生きた人間も実験に使われた。周辺の農民から60ヘクタール余りの農地を取り上げ植物に対する細菌実験を行った。農作物壊滅のためであった。
 100部隊が実践した細菌戦では、例えば1942年、ハイラルの北120キロのソ連国境に流れ込むチェルブロ河に鼻疽菌を散布、地上には炭疽菌を撒いた。1000頭近い馬に炭疽菌を感染させソ連領内に放った。1945年、ソ連国境の南岡河の草地と雪上にペストと牛痘の細菌を撒き動物に感染させる実験を行った。牛痘に感染した牛肉の粉末を飛行機で散布した。人体実験の被害者は、隔離室に収容され各種毒物と細菌の実験を行い、その後殺害され部隊内の家禽墓地に埋められた。
 細菌戦を実行する731部隊と100部隊は、残虐さと反人類的行為の面で変わるところはない。 1945年8月10日、すなわち日本敗戦の5日前、当時の若松部隊長は命令で捕虜を全員射殺し、罪証隠滅のため建築物と機材を全部破壊した。感染した馬やネズミを解き放った。その後長春一帯はペストなど疾病が流行した。
 部隊長と隊員の家族は全員がいち早く専用列車で逃げ、安東を経て8月21日ソウルに到着し解散している。
 昨年9月、長春市政府の決定により100部隊の遺跡は偽満皇宮博物院が管理することになった。100部隊の資料収集にあたり日本の友人に協力をお願いしたい。遺跡を記念することは歴史の悲劇を繰り返さず、人々の恒久平和のためである。
                          (鳥居 達生)

このページの先頭にもどる

楽しさ広がる日中文化教室

日中文化交流

不再戦平和の活動

県連活動ニュース

日中友好協会の沿革と概要

協会の公式見解