− 県連・支部だより
2011年夏季 中国語短期留学 エピソード1,2
今年も数かずの成果
2009年に始まった、北京第二外国語学院の夏季短期留学に今年も7月31日から8月28日までの4週間行ってきました。
外へ出ると体中の水分がいっぺんに吹き出してしまう程の暑さから始まって、爽やかな秋風の吹く北京で楽しい一カ月を過ごしました。
充実した授業内容
日本語の解説つきの初級教科書でしたが中にはスペイン語の本もありました、当然ですが初級ですから、ニイハオ、から始まりアオウの発音もやりますが、また初級から始めるのかと考えるとみんながどんな受け止めをするのか少々不安になりました。
ところが老師(先生)はお構いなく徹底して始めました。そうして私達が忘れかけていたあいまいさを徹底して正していきます。そうなると初級とか少しは出来ると思っていた者にはもう必死についていくしかないのです。
それどころか老師は日本語を全く話せないからすべて中国語、聞く力のない私たちは必死に老師の言葉を聞き取ることに集中せざるを得ない、もちろん私達のためにゆっくりとした言葉で進めてくれます。このことをなかまのひとりが「生中国語」と言いましたが、聞き取ることの難しさを痛感しました。まさに初級の学習を言い当てていると思います。毎日一課ずつ進みます。たくさんの例題を引用して文字もたくさん書いて私達日本人にとって理解しやすい方法で進めてくれました。
今年の老師は女性の老練な力のある素晴らしい人でした、 私たちの様な年配者に配慮しながらも授業を楽しく進めました。
みんなが少し疲れたようなときには、それをすばやく察知して話題を変えて話をすすめ、 いつの間にかもとの授業に戻っていきます。
こうして毎日3時間の授業が楽しく進みました。
学生たちとの交流
毎日の授業とは別に学生たちに個人レッスンを頼みました。これは毎年行うのですが、これがどれほど大切で有効なものかを今年は特に強く感じました。
もちろんレッスンは有料で進めましたが、学生たちはそれが主目的でなく本当に私達のために力を注いでくれました。教えてくれたのは日本語学部の学生たちですから、日本の人達と話せることは嬉しい事でもありますが、とにかく一生懸命に教えてくれました。そのなかで自分の故郷の話、いま自分がどんな勉強をしていて将来どんな職業に就きたいかなども率直に話してくれました。もちろん私達もいろいろ日本のことを話しました。学生たちがどんな環境で勉強しているかや社会に対する考え方も聞くことが出来ました。
今の中国の若者と心がつうじ合えることはすばらしいことです。きっとこの経験は今回参加した一人ひとりが感じた事でしょう。
これこそ、年の差を抜きにした草の根の交流ではないかと強く感じました。
エピソード(1)中日友好医院にお世話になった
昨年からこの医院は知っていたのですが、偶然にも県連の中国語教室の史先生の妹さんがここの中医(漢方)の医師で早速訪れました。快く対応していただき「いつでも困ったときは私を訪ねてくるように」と言われました。
余分な話ですが史ロンシン先生は素敵な美人で優しくてこの先生に診てもらえばそれだけで病気が治ってしまうと思う程です、専門は鍼灸医なのです。
学校へ帰ってその話をしますと、鍼治療を受けたい希望者が出てきて、早速連絡を取って学生に通訳の同行をしてもらい治療に行きました。
親切で優しく丁寧に診察、治療をしてもらい同行したこの患者の
夫君も喜んでしまい、合計4回通ったのですが毎回史医師に会うのを楽しみにしていました。治療の効果が表れてきたようですが日本に帰ってからも同じように治療を受けるよう言われたそうです。もちろん治療費は格安でした。これも史医師の心づかいだったようです。
今後もお世話になる事と同時に日中友好の絆を別の角度からすすめるみちが開けたような気がします。
エピソード(2)日本語学部との繋がりが出来た
私たちは今まで中国語学部との繋がりで留学を続けてきましたが、今回県連の石川会長のメッセージを日本語学部の教授に届けに行きました。
その教授はなんと学院長でした。もう一人の教授にもメセージがあることを伝えるとすぐ呼んでくれて、二人はとても懐かしんでくれると同時にぜひ石川会長に北京へ来てほしいと言いました。そこへまたまた学泉大に来ていた教授二人にも会う事が出来ました。私たちは中国語の勉強にばかりに目を奪われていて、日本語学部の学生との結びつきは広げてきたものの、この最もつながりの濃い日本語学部の事には気が付きませんでした。石川会長がこの人達と強いつながりがある事に改めて気が付きました。今後この面からも友好を深める努力をしたいと思います。
留学担当 溝口郷史
(つづく)