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勿忘草(わすれなぐさ)

日本人が中国解放戦で亡くなった女性を称える詩

 1995年8月31日付吉林省の通化日報紙は、“勿忘我” ー悼日籍解放軍女烈士の漢文詩を掲載しました。ここにその日本語訳を紹介します。

臨江戦役の間(東北民主連軍が、臨江・松花江地区で国民党軍と1946年12月から47年4月まで4次にわたる戦いで国民党軍に打撃を与え全東北の開放の転換点となる)、解放軍に参加した日本国籍の医師、看護婦たちがいました。藤崎成枝、田中静江、天井洋子、桜井恭子たちはこの戦役のために命をささげました。彼女たちの間で、一番年上が22歳で、一番年下が17歳になったばかりでした。


ここはそんなにも静かで
山は低く、水音もしない
墓上には藍色の勿忘草だけが一輪、
東の彼方を見つめながら揺れている

ああ、あなたは誰
あなたの為に墓誌銘を彫る人は誰もいない
然し、東北の大地はあなたを懐に抱き
山はあなたの名を知り、
水はあなたの姓を知る…
勿論、あなたは海の向こうに想いを馳せ
桜の木の下の美しい小路を忘れられず
かつて祖母の下駄の音を追っていた、
あなたは桜のように美しく…

ああ、あなたは故郷、祖国、
母親を懐かしく思い、
僕は富士山の麓の桜の花の中に
あなたの魂が宿る勿忘草をそっとのせたい

ああ、いや、あなたはここで倒れ伏し
この山はあなたを慈しみ育て
この水はあなたに口づけする
            
東北の大地の春は毎年あなたを呼び覚ます
半世紀の年齢は
あなたの記憶を消さず
50年の刀剣のような風雨は
あなたの心の傷あとを
けずり取ることが出来ず

勿忘草よ
あなたは彼女たちが
生きることに憧れる魂でしようか
霜雪に向かって咲き
霜雪を踏んで行く
血と火があなたの不撓不屈の
品行を鋳造した

ああ、勿忘草よ
思う存分咲くがいい、
長白山の麓から富士山の頂きまで
この勿忘草を敷きつめた
花の道を踏みしめよう、
そしてあなたをせめて
母の夢の中へ送ってあ
げよう…
 

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