− 県連・支部だより
カイライ「満州国政府」が滅んだとき(3)
では待遇面ではどうであったか。
私自身の例では、当時、日本国内では旧制中学卒業生の初任給は賃金統制によって、月額40〜45円と決められていた。
「満州国」政府に就職した場合、ほぼ倍額の80円であった。これは特別な例ではなく、満州の殆どの企業、満鉄を始め国策会社も同様で、満州に就職する日本人の動機は例外なくこの点にあったことは間違いないだろう。
一方、同じ職場で働いている中国人はどうかといえば、例えば、一緒に働いていたハルビン工業大学を卒業して入ってきた23〜4歳の男性の初任給は60〜65円位に過ぎなかった。
朝鮮人は「半日本人」という位置づけであり、中国人より上位だが、日本人より下といった待遇があてられていた。ついでに言うと、当時中国人を呼ぶのに「満人」「満州人」「満系」と言っていたが、これも随分失礼で、相手の人格を無視した言動であった気がする。満州の90%以上の中国人は「漢族」であり、実際を無視しただけでなく、彼らを蔑視し、見下したニュアンスの強い言動だったことは否定しようがないものであった。 (つづく)
岩瀬 信光