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県連・支部だより

三菱重工知多飛行場中国人強制連行問題の取り組みについて

中国人強制連行とは  常任理事 伊藤充久

中国への全面戦争を仕掛けた日本は、中国人民の強い抵抗にあい、1940年(昭和15年)には300万人もの日本軍の投入を余儀なくされ、国内で深刻な人手不足になった。1938年の「国家総動員法」、39年の「国民徴用令」、その後の「学徒勤労動員」などで、日本国民は戦争へ根こそぎ動員され、朝鮮からも敗戦までに150万もの人が日本などへ強制連行された。

 42年東条内閣の閣議決定で中国人の強制連行が始まった。それ以前にも華北地方から「満州国」へ毎年100万人にも及ぶ中国人を差し向けていたが、43年に日本への「試験的移入」が始まり、44年に「本格的移入」となり、38935名の中国人が日本全国135事業所で苛酷な条件下で強制労働をさせられ、17・5%の6830名が死亡した。(日中友好協会編 ビデオ「証言 中国人強制連行」ガイドブック)より)

 愛知では
 愛知でも1944年11月に三菱重工知多飛行場(大府市と東海市)に480名の中国人が連行され、河北省出身の揚洪寛(21歳)を始め5名の犠牲者が出た。
 
 愛知県連は2007年8月の「平和のための戦争展」でこの問題の展示を行い、取り組みを始めた。同年夏、県連代表が犠牲者の慰霊施設である天津市烈士陵園を訪問し、資料提供・交流を行い、慰霊祭に参加した。2008年7月、地元で学習会を行い(講師西秀成先生)犠牲者5名の遺骨を保管した玄猷寺(げんにゅうじ)訪問と現地見学を行った。地元関係者と相談しながら、県連として取り組み案を検討し、9月大府市に続き12月13日に東海市で取り組みの検討会議を持った。
 
 取り組みの検討始まる
 初めて参加された方も見えて、貴重な意見交換を行った。八百屋をやっていた方の、中国人が買い物に来ていたという話や、帰国の際の中国人にドレスを作ってあげた方の話、飛行場で働いていた人(日本人)が終戦時に飛行機に乗せてもらったこと、郷土史研究家がいらっしゃること、市民の平和学習にしたいという意見、などが出た。

 県連は今までこの問題に取り組めなかった反省に立って、市民と共同で平和・国際友好の市民運動として史実の発掘・学習・慰霊事業に取り組むことを決めている。古老などに当時のことを聞くことや市民に広くこの問題を知ってもらうなど、取り組みは始まったばかりである。

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