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私の日中友好運動の歩み

その〈1〉   元愛知県連事務局長  大橋満男

 私が舞鶴に引き揚げてきたのは1953年10月14日だった。本来なら天津の塘估港を9月中旬ごろの出港予定が、伊勢湾から舞鶴を襲った台風のため2週間ほど天津に足止めされてしまった。台風のおかげで天津市街の見学という想定外の帰国土産を貰うことができた。

 引き揚げの日本人が中国各地から天津に集合した数は800余名ほどになり、乗船の帰国船団長の選出や青年行動隊長の選出などが行われた。船団長に名古屋に帰る解放軍病院の薬剤師であった服部氏が選出され、青年行動隊長に大橋が選出された。青年行動隊の任務は、乗船する病人を担架で搬送したり、精神障害者の動作を見張ったり、また学習会を開くなど休む暇のない、今流で言うボランティア活動に終始した行動であった。

 入港前日を迎えた夜、青年行動隊の最終学習会を開き、帰国後一人ひとりが日中友好運動に参加する決意表明の発言に、学習会場は異常な雰囲気に包まれ素晴らしい学習会で終わったことが、今も脳裏に焼き付いている。

 帰国後、船団長だった服部薬剤師から、名古屋で内山完造氏の中国問題講演会を開く準備を進めているが、手伝ってくれないかという要請があり、船内で決意表明をやった手前「名古屋に行きます」と返事したのが1954年2月、私の日中友好運動の第一歩となった。                                (以下続く)

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