日中文化交流

中国の旅

「北京・秦皇島・承徳7日間」

「北京・秦皇島・承徳7日間」に参加して

   日中友好協会 緑支部を中心に総勢20名で5月10〜16日まで中国旅行をしました。行先は河北省で北京、秦皇島市、承徳市です。バスの走行距離は7日間で1000キロ。
 観光もですが、戦争遺跡をめぐりました。それから河北外国語学院(短大)を訪問し、日本語学科の学生と交流しました。日本語でしゃべり、生け花、折り紙など。
 2泊して歓待してもらい、大変楽しい旅行でした。観光も、料理も酒も。何より戦跡めぐりで日本軍の残酷な仕打ちを知り日本人の罪過を痛感させられました。
 河北外国語学院は旅行を世話された伊藤充久さんが、そこの日本語教師として以前教えられた学院です。日本語学科の学生150人余りに講演を頼まれましたので通訳付きで講演しました。題目は「河村名古屋市長南京虐殺否定発言と日中友好運動」。それを聞いていた学長や学部長が、他の学科の学生にも聞かせてほしいということで翌日200人ほどの学生に、また講演しました。日本人の戦争反対、日中友好運動、特に名古屋では河村発言(南京事件否定)に対するささやかな運動でも新鮮に聞こえたのでしょう。
 北京の盧溝橋と抗日博物館では、秋の反ファシズム勝利70周年記念行事に向けて、資料の整備、建物周辺、道路など工事が急ピッチで進められていました。政府が愛国主義教育の施設に力を入れていることが分かります。
 河北省の北京の北側、万里の長城の外側は険しい岩山の連なりです。2年ほど前、高速道路が貫通したとのことですが、トンネルと高い橋脚の橋で峡谷を渡しています。難工事と巨額の費用を要したことでしょう。
 そこを少し外れた寒村、唐山市豊潤区の藩家峪という部落(村)に至る道は悪路でした。そこに惨殺記念館がありました。1941年1月の真冬、日本軍の三光作戦によって村民は皆殺しされています。館長一人で管理している様子。ここは、当時八路軍の根拠地でした。献花して黙祷してきました。
 承徳では、中国で最大級の万人坑があるとのことで、そこを訪ねました。メイン道路から500メートルほど登った小高い丘にそれはありました。管理人は誰もおりません。現地の旅行ガイドの説明によると捨てられた死体は3万6千ほど。殺された人の氏名も正確な数も分かりません。だから、ここの石碑は表も裏も何も書いてありません。河北省政府の重要物文件指定の小さい石碑だけがありました。周りは低木と草が茂っています。掃除もされていません。紙屑が散らかっていました。献花して黙とうしました。
 これでは殺された人の恨みは消えないでしょう。
日本の責任ある者が事実を認め、罪過を深く反省し罪を償わなければ中国人の恨みは消えないでしょう。罪の償いはドイツにならって、やり方はあると思いますが、最小限二度と戦争しない、平和憲法を守ることを約束することだと思いました。
 
                  旅行団長 鳥居達生 

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