− 中国の旅
中国東北部(旧満州)旅行記(3)
引き揚げ途上で弟・妹を亡くした知人の 暮らしていた牡丹江を訪ねて
牡丹江の街で戦争中の建物のうち、唯一残されているのは満鉄の宿舎だそうだ。そこは全員で見学したが、70年以上経った煉瓦作りの宿舎には現在も人々が暮らしていた。
「牡丹江」に住んでいたという知人の父は、「酒保」で働いていた。
今回の旅行では「牡丹江」の駅から歩いて20分ほどのところに、以前「酒保」があったということをガイドさんから聞いた。
ホテルについて夕食までの時間に、ガイドさんに特別に依頼して私だけその場所に連れて行ってもらった。太平路から一本入った路地がその場所であったが、以前の建物は跡形もなく、現在は牡丹江大学継続教育学院、春天学校という教育機関やホテル、食品店などが立ち並んでいた。
しかし、その場所は駅から近く、とても便利な一等地であることが分かった。山のふもとの陸軍病院が見えるという当時知人が住んでいた官舎の跡や、通っていた小学校の跡は見ることができなかったが、現地に行ってみなければわからない街の地形や駅からの距離などがわかって良かったと思った。
ホテルの部屋から牡丹江の街を見渡すと、遠くに摩天楼のような高いビル群が並んでいた。中国の中では決して大きな都市ではないだろうが、私が想像していたよりもずっと大きな都市だった。ガイドの肖さんが、一生懸命探してくださった牡丹江の地図と今回の旅行の土産話を、引き揚げ体験を話してくださった知人に届けたいと思う。
終わりに
今回の旅行を通じ、体験談を話してくださった人々の思いが、実際にその地を訪ねることで臨場感を持って理解できるようになり、本当に実りあるものになった。
旅行の企画から、出国、帰国まで何かとお世話になった事務局の方、また、同行してくださった皆さん、気づかないうちに迷惑をおかけしたことと思いますが、感謝いたします。
日本福祉大学中央福祉
専門学校 永井淑子