日中文化交流

交流

南京三江学院と初の交流にぎわう

2013年3月3団体合同の旅行の中で行った交流。

 今回の南京訪問の計画が出された時、昨年から続いている南京三江学院との交流をスケジユールの中に入れていただくよう提案しました。

 実は昨年の武漢南京の訪問の時、初めて三江学院の学生達と交流をしました。その後1年にわたって一人の学生とメール交換が続いていました。今回の交流もこの学生を通じて呼びかけました。学校には学生達に絶大な人気のある日本人の曽田和子先生がおられ、曽田先生にも直接相談をしました。  

 同時に実行委員会にも提案をさせてもらい、名古屋、南京の旅行社に日程を組んでいただきました。今回は曽田先生の大変な尽力と、学生たちの熱意が交流会を実現させました。こちらの希望は日本語学部の学生達と学生食堂で食事をして交流が出来ればいいと伝えました。 

 先生と学生たちは私たちの受け入れの会を設け、何回も相談を重ねたと言います。時間があればもっとたくさんの出し物をやる予定でしたが、今回は歌の独唱と空手の表演だけになりました。また事前に学生からの沢山の質問もまとめてくれました。(別項)  

私たちが学校に到着すると、広い会議室に案内してくれて、全員で交流会となりました。学生たちは 私達を大歓迎してくれました。みんな輝いていました。

 双方の代表のあいさつに続き、何人かが発言しましたが、一人の女子学生が先生に促されて発言し、私のおばあさんは残留孤児です、残留孤児は日本ではどんな暮らしをしているかの質問に続いて、おばあさんは4人の子どものうち私の父をのぞいて3人の子供を連れて日本に帰国したが、交通事故で亡くなりました。私は日本語をしっかり勉強していつかきっと日本へ行きたいと言いました。私の頭の中は南京の事ばかりでしたがここで残留孤児のお孫さんに会えるとは思いもよりませんでした。

 食事をしながらの交流会は、食堂の別室でグループに分かれての交流とつづきました。これもまた驚きでして、テーブルにはどんどん料理が運ばれてきて参加者一同食べきれません、しかもレストラン並みの美味しいものばかりでした。

 隣に座った先生にこんなにたくさんのご馳走を出してくれてよいのか、と聞きました。先生は旅行社や学生たちがはるばる来てくれる旅行団に粗末なものは出せないからと、このようになった心配しなくてもいいと言いました。

 この大学は私立大学で学生達も入学時は複雑な心理状態だったようですが、いまは本当によく勉強をすると先生は言います。

 今回この交流会に参加された人の中には、中国の学生達と話すことは初めての人もたくさんおられたと思います。

 皆さんの感想も聞いてみたいと思います。きっと純真で一所懸命な学生達の話に感心されたのではないでしょうか。

 ぜひこれからもこの学生達との交流を続けたいと思います。
 なお、現在は三江学院に学生3人とメール交換が続いています。  

中国の学生たちの関心ごと

 日本中国友好協会愛知県連合会の皆さんとの交流会で、以下のようなことを取り上げて話したいと、学生たちが言っております。

日本の学生たちの就職状況は?

日本の大学生たちの中国への関心度は? 日本の中高年の持つ中国に対する感情との違いはあるか。

普通の日本人は中国人をどう思っているか。

中国との関係がよくない現在、民間の交流も困難になるか?

日本の65歳以上の老人への医療制度について。
 
日本に戻った中国残留孤児は現在、どんな様子か。 

どうして日本女性は、冬でも、スカートを穿くのか。

いま、日本の地価はどうか。

団地で住民たちによる委員会はあるか、そして、その委員会は、その団地に住む人を管理するか、するとすればどの方面か。

日本の高齢者は余暇をどのように使っているか。

日本人は人前で抱き合うとか身体の接触をいやがるようですがどうして?

どうして日本で買い物をするとき、税をはらうのか。(日本に行ったことのある学生が消費税を不思議に思ったようです)

日本の大学生は大学卒業時、必要な条件があるか、それはなにか。(国家資格、例えば英検1級とか)

日本の街はとてもきれいだが、保持するためにどんなことをするか。

日本に戻る前に何か計画があるか。

中国の飲食はどうか、食べ慣れたか。

中国の何に興味があるか。中国のどんなことを知りたいか。

南京の印象はどうか。初めて来たのか。

中国に対して一番深いイメージはなにか。

このページの先頭にもどる

楽しさ広がる日中文化教室

日中文化交流

不再戦平和の活動

県連ニュース

県連活動ニュース

日中友好協会の沿革と概要

日本中国友好協会