日中文化交流

中国の旅

紙上座談会 日中愛知の旅「武漢&南京」に参加して(下)

紙面の都合で休載していた、日中愛知の旅「武漢&南京」(3月24〜29日)の紙上座談会。最終回は武漢・南京から足を延ばした観光の模様や街の印象を語り合ってもらいました。

黄鶴楼からの眺めに感動

 ――最初に訪ねた武漢では、武漢のシンボルといわれる黄鶴楼などにも出かけましたが、いかがでしたか。

 A 漢詩のアルバムなどではおなじみでしたが、崔曄覆気い海Α砲簍白の詩で有名な黄鶴楼をはじめ悠久の歴史を感じさせるものが多く、有意義な機会でした。また、街のあちこちで建設工事が盛んで、中国の活力と意気込みを実感したところです。

  D 黄鶴楼が小山(蛇山)の頂上にあることを知りました。時代ごとに楼の移り変わりがあることを興味ぶかく感じたりもしました。

  E 武漢市街と市内を貫流する長江を一望することができる黄鶴楼の楼上からの眺めはほんとうに素晴らしく、まさに「絶景かな、絶景かな」でしたね。
 その半面、夜のネオンが むやみに多く派手で、中国には省エネという観点がないのか、と疑問を抱きました。

 C 黄鶴楼とともに、禅宗寺院の帰元寺がよかった。武漢四大寺院のひとつに数えられるということですが、立ち並ぶ堂の間に放生池や小亭などが配されていて、寺院ながら境内全体が豪華な庭園といった趣でしたから…。

夫子廟の夜の賑わい満喫

 ――南京に移った日(3月27日)に、革命の父、孫文が眠る中山陵にみんなで行きましたね。

 B 南京のホテルに帰ったのは午後9時ごろ。近くがネオンで明るく夫子廟(ふうしびょう)街とあり、街歩きに出かけました。秦淮河(しんわいが)の水面に映る楼台の灯りも美しく、遅い時刻でも大変なにぎわいでした。

科挙制度にかんする江南貢院歴史陳列館もありました。科挙がなぜ廃止になったのか、説明では試験が公正に行われなくなったから、とありました。

 C 貢院街にある夫子廟は孔子を祀る廟で、明清代の街の雰囲気をいまに伝える観光スポットとして人気のある場所ですよね。繁華街の門に書かれている「江南貢院」は、科挙が盛んだった明時代には中国最大の規模だったとか…。

 D 夫子廟で中国人のお姉さんに「(地下鉄の)夫子廟駅はどこですか」と尋ねるところを「夫子廟はどこですか」と言ってしまい、「ここが夫子廟だよ!」と地団太を踏むようにどやされてしまいました。
「旅の恥はかき捨て」といいますが、これは中国語会話力の問題ですね。

 F どこに行っても広々とゆったりしていましたね。毘蘆(びる)寺のすぐ近くに、中国近代史の最初の不平等条約《南京条約》(1842年)を英軍と締結した静海寺の旧跡があり、記念館として保存・公開されていることに驚嘆しました。

車窓に映るリアルな中国

 ――観光以外で、街の印象などもふくめて自由に雑感を出し合ってもらいましょうか。

 A 今回、武漢から南京、そして上海へと列車の旅ができたのは、旧日本軍の南京攻略の広がりを顧みる点でよかったと思います。飛行機だとさっと飛んで終わりで、実感がわきません。新幹線のスピードとはいえ地面を走っているので、現代史の学習で得た知識をフル稼働させて想像しやすいです。

 B 南京では南京城壁と中華門などに行きたかったのと、難民区の位置を確かめたかったのですが、今回の日程では残念ながら無理でした。次の機会にはぜひ実現させたいと思っています。

 C 高層ビルや高速鉄道が建設される一方で、ホテルの前に物ごいが現れたり、道路や駅のホームに平気でたばこを捨てたりする人もいて、どこの国も経済発展と人々の意識のギャップを埋めるのは課題だと思いました。

 E 夕刻、大勢の人々が外に出て、日本のラジオ体操のようにダンスをしていた姿をあちこちで目にしました。健康のためにやっているのと、ひとつのコミュニケーションの在りようだと思いました。

また、武漢から南京への車窓からの風景で印象に残ったのは、畑が多いことでした。山を切り開いて畑を作り食糧生産に向かっているのでしょう。

 F 一般の商業観光とちがい問題意識と目的を持ったツアーなので、内容が充実していました。河村暴言の直後だったけど、地道に交流を積み重ねてきた日中友好協会だからこそ受け入れられている部分が大きいと感じました。

 G 日中の旅行は何回か参加してきましたが、現地ガイドが湯啓福さんのときはまた参加したい。安心・安全で収穫の多い旅行でしたから。

      (おわり)

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