− 中国の旅
紙上座談会 日中愛知の旅「武漢&南京」に参加して(中)
前号につづいて、日中愛知の旅「武漢&南京」で見聞したことや心に刻んだあれこれを語り合う紙上座談会。今号では武漢の次に訪ねた南京の模様です。
南京訪問編
――それでは江蘇省の省都南京に移りましょう。初日に江蘇省人民対外友好協会を訪問し、歓迎の宴を開いていただきましたが…。
B 料理が豪華でおいしかったけど、中国の人びとの税金でごちそうになったみたい。
F レセプションで、民間交流が大事だと言われたことに河村発言の影響を感じましたが、こうした中で歓迎されたこと自体に感激しました。食べきれないほどの料理や飲み物で歓迎してくださり、とても嬉しかったです。
C 歓待していただいたのに、体調が悪くてせっかくのごちそうがほとんど食べられず、残念でした。でも、きりえ展示会の打ち合わせができて、よかった。
A 歓迎のスピーチを聴きながら、中国の行政の担当者というのは政治家なのだと感じました。
江蘇省に「こけし」を贈る
――アジア平和のための交流会ではどうでしたか。
C あいさつする人が、それぞれ言いたいことが多くて話が長すぎた。準備の不手際で学生の踊りや歌がカットされて、気の毒でした。
A 熱心に資料を集められた民間の博物館館長の熱意が伝わってきました。毒ガス被害の告発を行っている中国人女性の話は興味深かったですね。きっと彼女の生き方とも結びついているからだろうと思います。
運営の面では、交流会の進行がぶっつけ本番だったのでしょう、めりはりが欠けていた。時間にも無理があったのではないでしょうか。
E 民間の記念館として、よく資料を集めたものだと感心しました。中国の学生も何人か参加していて、温かい歓迎ぶりがよく分かってよかったです。
F 民間交流が活発になるスタートの場に参加できてよかった。
G こうした形の交流会がこれからもつづけられるといいなと思いました。
B 全体としてよかった、の一言につきます。
フォーラムで二胡演奏
フォーラムで学生の琴演奏
――メーンは南京虐殺記念館の見学でしたが、いかがでしたか。
B 「南京虐殺はなかった」という河村発言を知って再度南京を訪ねることにしたのがこの旅行に参加した直接の動機ですが、5年前に行ったときは改修工事で見学できなかったという事情もあります。今回も駆け足での見学でしたが、「30万人」の根拠数、時期、エリア、当時の人口の説明がほしかった。「展示写真は偽物」という右翼への反証はどうなのか、といった問題もあります。
C 初めて訪れ、被害者の遺骨や写真を前に、日本はひどいことをしたけれど、二度と戦争などしてはいけないと思いました。生存者の李秀英さんの「歴史をしっかり覚えよう。しかし、恨みを覚えてはならない」という言葉に感銘を受けました。
F 日本人という立場で見ることがつらかったけれど、歴史の罪過に目を背けてはいけないという気持ちになります。
A モノで示すというのは難しいことだと思いました。亡くなった人たちの擋案(身上調書)の棚が印象的でした。被害者検索システムはコンピュータの利用としていいことですね。難点を言えば、照明が少々暗すぎた。演出の工夫は分かりますが…。
南京民間抗日戦争博物館
南京市民との交流
――今回の南京訪問では、毘蘆(びる)寺を初めて訪ねたことが県連の旅行の歩みの中でも意義深いことでした。
E 毘蘆寺ではお茶と南京豆を出してもてなしてくれました。60年代の「文化大革命」で大小300体の仏像をぶち壊し、寺院まで破壊しつくした当時の「紅衛兵」たちはいま何を思っているのか、いろいろと聞いてみたかった。
A 住職が出張で不在であったことは残念でした。名古屋・平和公園の千手観音像の「里帰り」などの件は住職の専権事項でもあるようでしたね。
C 観音様のあるべきところに写真がおかれていたのが胸にぐっときて、心に染みました。〈一日も早く返してあげなくては…〉と思ったところです。
G 同感ですね。観音様が座る場所まで作られていて、私は平和公園の千手観音像を絶対に返してあげた方がよいと確信しました。
F 中国で宗教の力が大きくなっているのを感じました。急速な経済発展の陰で心の不安を宗教に求める人が増えているのでしょうか。
(つづく)
名古屋で作成された菩薩が南京事件直後に南京・ 毘廬寺に贈られた十一面観音菩薩像の写真