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きりえ

「きりえ」運動草創期の思い出(1)

紙上コンクールの開始

 このほど豊橋市内で開かれた全国大会で、きりえの優秀作品の表彰がありました。その中で全国の仲間をおどろかせたのは愛知県のみなさんの「きりえ」作品の入選数がすごく多かったことでした。

 日中友好協会が、全国に向けて「きりえ」運動のスタートをきったのは、1967年8月、日中友好新聞紙上での『第一回きりがみ紙上コンクール』でした。当時は「きりがみ」と呼んでいました。1980年に刊行された『画集きりえのあゆみ』(日中友好協会きりえ委員会編・日貿出版社刊)には第一回コンクールをはじめた経過を次のように説明しています。

 「…日中友好協会が生み出したまったく新しい美術創作活動であり、協会の文化活動として全国に積極的に普及しようという考えのもとに、当時協会の事務局長であった橋爪利次の提唱により、1967年8月、第1回きりがみコンクールが企画され実施されました」

 当時は中国の文化大革命の騒ぎがあり、日本にもちこまれ、「きりえ」はそうした友好運動をめぐる大波乱のなかでの誕生でした。

 そうした経過や『秘話』は、何回かあとで紹介したいと思います。

 第1回コンクールの応募作品は大人19点、ジュニア1点でした。この作品を友好新聞紙上に掲載し、読者のみなさんによる葉書投票で1、2、3位を決めました。コンクールのたびに、作品を新聞で大きく紹介したので、だんだんと人気がでてきました。(つづく)

橋爪利次(元日中友好協会本部事務局長)

 

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