− 県連・支部だより
戦争展 講演
「中国から見た『満州国』」
講師:石憲 偽満皇宮博物院研究員
戦争展初日の8月16日午後4時から日中愛知県連企画のピースステージ。満席の約60人が参加。以下講演内容を紹介する。
「満州国」のでっち上げ
「満州」と呼ばれた中国の東北地区は、中国文明の発祥の地の一つで、土地は広大で肥沃、多くの資源に恵まれている。明治維新後、日本はこの地域に対し植民地化の欲望にかられ軍事力による拡大路線をとった。
1931年9月18日、満州駐在の日本軍(関東軍)は謀略によりいわゆる満州事変を起こし、1年余の短期間に東北地区と華北地区を占領した。 その原因の一つは、国民党政府の蒋介石が無抵抗主義の政策をとったからである。中国人は、9月18日を国辱の日と呼んでいる。
1932年3月1日、関東軍は、清朝最期の皇帝、愛新覚羅溥儀を利用して建国宣言を行い「満州国」をでっち上げた。日本軍の占領下にあり、完全な植民地であった。国際的にも国として認められていない。中国人が、「満州国」を偽満州国という理由もここにある。
関東軍は、鉄鉱、炭鉱などの鉱山、銀行、鉄道、道路、郵便、電信、広大な土地などを占有し、「満鉄」「日産」など日本の財閥企業を通じて東北地区の経済を支配した。
残酷な強制労働
鉱山を開き、工場の操業、道路、鉄道建設、水力発電のためのダム工事など、さらにソ満国境地帯の軍事要塞建設のため中国人を強制連行し、過酷な労働をさせた。中国人労働者が逃亡できないようにして奴隷のように酷使した。 東北地区で強制労働に連行された中国人は3700万に達する。強制労働の場所には、万人坑(数千人の死体を放置した穴)が存在する。死んだ労働者や労働力として使えなくなった病人を穴に放置したのである。栄養不良と事故による強制労働の死亡率はすざましい。5000キロメートルに及ぶソ連との国境地帯に320万人を強制労働させ軍事要塞群を作った。ここで100万人以上死亡している。2552万ヘクタールの農地をただ同然で買い上げ、中国農民を強制的に追い出し、離散・隔離した。それに抵抗すれば、日本軍が家を焼き払い殺した。そこに日本各地から満蒙開拓団が移民してきた。
アヘンによる中毒と軍事費の調達
「満州国」はアヘンや塩を専売にした。アヘンは国際的に禁止されている麻薬である。日本軍は華北地方や内蒙古の一部に傀儡政府を通じアヘンの原料となるけしの花を栽培させ、アヘンを売買し巨額の利益を得た。それで関東軍の主要な軍事費をまかなった。同時に、多くの中国人がアヘンの吸引により麻薬中毒となり悲惨な死に方をした。アヘンは中国人の民族精神を破壊した。
教育と宗教による鎮撫宣伝
中国人は漢族であれ蒙古族であれ、すべて満州人と自称させられ、教育では日本語の使用を強制させられた。食事で米を食べるのは日本人だけで、他は高粱など雑穀であり、常に飢餓状態であった。裏地のない衣服を支給され、どうして厳寒の冬を越したのだろうか。それに異を唱えると思想犯として罰した。殺してよいのである。
天皇崇拝の神社を各地につくり、強制的に参拝させた。
首都新京(長春)から東京は東南にあたる。皇居に向かって「東方遥拝」を強制した。中国人民が日本支配におとなしく従うようにするための教育、宣伝である。
中国人をこのような地獄に突き落として「王道楽土」といった。
また、「五族協和」(五族とは、日本民族、漢族、蒙古族。満族、朝鮮族のこと)を唱えながら、日本人だけが優秀民族で他民族を蔑視し、民族間の対立を助長し分割支配した。
生物化学兵器と毒ガスの使用
ハルピンと長春に731部隊とその姉妹部隊である100部隊が存在した。731部隊は細菌戦の研究をして、それを散布し中国侵略戦争に利用したのである。研究用として中国人を7000人ほど犠牲にした。しかも高学歴の医師が生体実験に従事したのである。100部隊は馬に細菌を感染させ中国やシベリヤの原野に放ったのである。第二次大戦中に日本軍は、400万個の毒ガス弾を製造し、大部分を中国で使用した。日本敗戦時に、東北地区に100万発を遺棄した。それは、環境破壊の原因であり、今なお人々に危害を与えている。
心に光明を持とう
どんな時代であれ、すべての国民は、友好平和、繁栄進歩を求めている。心に、正義と知恵という光明を持つならば、未来はともに明るい。
鳥居達生