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県連・支部だより

「2014あいち・平和のための戦争展」

あふれる“戦争する国許さず ”の決意

  「2014あいち・平和のための戦争展」が8月9〜12日、名古屋市公会堂4Fホールで開かれ、折からの台風11号の影響のなか1700人以上が来場・交流しました。日中県連も加わる同戦争展実行委員会(参加44団体)が主催し、23回目となりました。

注目された南京民間抗日博物館の提供写真

  ❖4氏でテープカット
 会場正面のステージには「『戦争する国』を許していいのですか? 私たちは国の武力行使を認めません」と、ことしの戦争展のテーマが。このステージでは実行委員会企画で中国初の民間博物館である南京民間抗日戦争博物館提供の「写真で見る南京虐殺の実相」が25枚の写真で展示されました。
初日の午前10時40分から、このステージで写真展のテープカットが行われ、南京民間抗日戦争博物館の呉先斌(ウー・シェンビン)館長、偽満皇宮博物院の劉龍(リウ・ロン)研究員、戦争展実行委の倉橋正直代表、日中県連の石川賢作会長の4氏が並んで取材陣のライトを浴びながらテープカット。
❖「ノーモア戦争」
 これに先立ち10時からは、ロビーで昨年につづきオープニング企画の金城学院中学校の生徒有志十数人による「名古屋空襲ピアノに誓う『ノーモア空襲。ノーモア戦争。』」の演奏があり、若いコーラスに盛んな拍手が送られました。
 11のブースでは、平和・民主団体や市民グループなど30余の団体が各々とりくんでいるテーマで写真や絵、戦時中の生活用品や映像などの資料を展示しました。

「張作霖爆殺事件の真相」

  日中県連は、「歴史に学ぶ謀略と隠ぺいの仕組み」と題して、この間の学習の結晶である日中戦争の歴史を6枚のパネルで紹介。ピースステージでは4日間で18ものプログラムが催されましたが、県連は別項記事のように2つの講演会も開き、あわせて110人の参加者を迎えました。

 「2014あいち・平和のための戦争展」2日目の8月10日、呼び物のピースステージプログラムの一番手に、中国偽満皇宮博物院(吉林省)から劉龍(リウ・ロン)研究員を迎えて「張作霖爆殺事件の真相」と題した日中愛知県連主催の学術交流講演がありました。
 初めに主催者として 石川賢作県連会長が「台風11号の中をこの講演にお越しいただき、心からお礼を申し上げます」と、50人の参加者に謝意を表明。つづいて司会にあたり、講演は名大院生の趙宏剛さんの通訳ですすめられました。

 ❑「親日」の深層つく
 劉さんは「奉天軍閥の首領だった張作霖と日本は長期的な“密接”関係があったが、この“親密”と“緊張”の関係は、日本が中国東北部を侵略する政策の制定・調整に映し出されている」と切り出し、日本と張作霖→矛盾の激化→関東軍の張作霖暗殺、と話をすすめました。
 この中で「当時、日本の中国東北部での勢力からみて、親日は張作霖の第一の選択であり、しかも彼が成し遂げた覇業は日本の支持と切り離すことができなかった」と、“親日”の深層を解明。張作霖がみずからの目的を達するため日本に頼り、「必ず命がけで努力します」と誓っていたことを挙げました。

 ❑東北人民の反日気運
 その一方で、彼はイギリス、アメリカを利用して東北の鉄道・港湾にたいする日本の支配を打破しようと追求。 1927年4月、日本が張作霖に鉄道敷設権を強硬に求めたことから東北人民の反日感情が高まり、8、9月には奉天城で大規模なデモ行進が発生しました。 こうした情勢の発展の中で、関東軍は張作霖の反日傾斜を厳戒し、彼を無き者にする策謀へと突き進みます。
 張作霖が亡くなった後、息子の張学良は奉天系勢力を率いて国民政府への服従を鮮明にします。劉さんは「日本が奉天系勢力を利用して中国を侵略しようとする陰謀は、完全に失敗に終わったのです」と講演を結び、熱心に聴き入る参加者の拍手を浴びました。

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