日中文化交流

中国の旅

「二外」留学エピソード(1)

先輩の紹介状で院長と歓談  人民解放軍病院を訪ねる

 中国人民解放軍总医院第一付属医院(原三〇四医院)を友好訪問しました。

 この病院は、故内田卓治さん(元県連常任理事)や現顧問の永吉秀嗣さん(県連顧問)たちが1945年から長きにわたって中国解放の国内戦争で共に戦ったゆかりの病院です。

 まずこの訪問に先立って、永吉さんに紹介状を書いてもらい、さらに現在の永吉さんの写真と、20年前(1993)にこの病院で行われた解放40周年記念に参加した時の記念写真の写しを持っていきました。

 アポなしの訪問ですから、受け付けてくれるかとても不安でした。一緒に行ってくれた中国の2人の友人が来訪の説明をしてくれて、なんとか守衛室入れてくれた。先ずひと安心。院長宛の紹介状を見せると、しばらく待てとのこと。20分程待つと、にこにこして軍服姿の凛凛しい男性が来てくれた。どうやら私たちはこの訪問が認められて、歓迎されたような雰囲気になった。話を聞いていると院長がどこかにいて間もなくこちらに来るということらしい。

 間もなく立派な応接室に通された。今度は本当に院長が来てくれた。精悍な小柄な凛凛しい男性です。

 あらためて来訪の意図を伝えて懇談した。とくに記念写真を見ながらしばらくは、院長たち2人がとても懐かしそうに話していた。懇談は、永吉さんの現状や永吉さんから聞いた1945年当時の話をした。感いって話している私が時々言葉が詰まりがちになった。日中友好の活動は永吉さんたち先輩の思いを受け継いでこれからも続けると伝えて懇談は終わった。

 大きな病院の中を日本語の堪能な女性医師の案内で見て回った。93歳の現役の名誉所長に会った、持って行った写真を見て女性医師の説明を聞きながらとても懐かしそうだった。帰り際にお願いがある。この写真が欲しいという、さしあげるというと、とても喜んでくれた。あとで聞くところによるとこの名誉所長は、全国でも名の知られた熱傷の権威だそうです。

 なお第四野戦軍後方衛生部隊を引き継いだ病院は、今は広州にあるとのことだった。この友好訪問に同行してくれたのは、愛知学泉大学に留学した候君と、わが日中県連の中国語教室の史先生の妹さんで中日友好病院の史医師です。  

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