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きりえ

きりえ運動草創期の思い出(6)

日本の伝統文化

 きりえ運動の草創期には「きりがみはなぜ日本の伝統文化なのか」、について熱い論議がありました。当時、本部や支部会議で私からつぎのような説明をしました。

 「寺院や神社の祭礼に使われる紙細工、お正月のしめ縄の紙のびらびらなども伝統的なきりがみのひとつです。また、遠い昔、孫たちがいたずらをして破った障子の補修に、お婆ちゃんが紙で梅の花などを作って、穴塞ぎをしていたのを覚えていますか、あれも立派な日本のきりがみです。そして伊勢型紙などは日本のきりがみの典型です。沖縄、京都などの染め物の型紙なども…。漆器の蒔絵に使う型紙もそうです」。

 本部の会議で、「現物を見たい」という声もあったので、私は、郷里から紀州黒江漆器の蒔絵の型紙と高野山の「干支の切り紙」を取り寄せ、三重の岡田事務局長から「伊勢型紙」を送ってもらい、みなさんに見せると、「僕は中国の剪紙しか知らなかった…」。「日本にこんな立派なきりがみがあったとは…」と、驚きの声も出ました。

きりえ活動が始まると各地から「製作のテキストがほしい」、という要望が出てきたので1969年に、『きりがみのきり方』と初心者向きの『きりがみ下図集』を本部から刊行し、なかなかの好評でした。これで勉強して切り方を覚え、ついに「きりえの先生」といわれるようになった方も全国でずいぶんといます。東京都連や帯広のきりえ研究会では、テキストを独自で発行して、愛好者を大きく増やしました。

 私が事務局長をやめて療養のために郷里に帰ったあと、協会本部の役員、事務局、とくに全国きりえ・きりがみ委員会(後にきりえ委員会に改名)の熱心な活躍が実って、だんだん発展を見せ、ついに「日中友好協会が新しい美術のジャンルをつくりあげた」と、美術界からも高く評価されるようになったのです。

    橋爪 利次(元本部事務局長)

      つづく  

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