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中国の旅

【09.01.07】ベトナム・ハノイ、中国・雲南の平和の旅

ベトナム・雲南平和の旅

   京都・大阪・長野からのご夫婦を含めて24名で、12月23日から8日間の旅に出かけた。参加者の見識の高さ・現地ガイドのすばらしさ・中国のスルーガイド湯さんの日中友好への並々ならない思いなど、ハードな旅程であったが、平和の願いを強め友好を深めた旅だった。

 枯葉剤の想像を絶する被害を見る
 ハノイ平和村で生活する被害者に会い、枯葉剤被害者協会で、元保健相で著名な眼科医の会長から被害の実相を伺った。アメリカ軍の枯葉剤攻撃によるダイオキシンは、3世代にわたって恐ろしい被害をもたらした。刺繍編みをして働いている人・勉強に精を出す子ども・ベッドに寝たままの被害者。彼らの生活や学習を支えるスタッフ・ボランティアの学生とも出会った。若いドイツ人女性が英語の勉強をサポートしていた。
 被害者の目に憎悪とあきらめはなく前を向く輝きがあった。スタッフは何と冷静で科学的で献身的だったことだろう。戦争のこの恐ろしい実相にたじろぐことなく立ち向かい、もの静かにその罪業を追及する知性が輝いていた。

   中国の発展と少数民族
 ベトナム側のラオカイから国境の橋を渡って中国の河口へ入る。中越戦争の地でもある。その先は、元陽の棚田と少数民族の村の訪問をしながら、昆明まで600kmのタフなバスの旅だ。未完成の高速道路下のハードな道路が続く。途中から高速にのる。中国南部の雲南も高速がどんどん伸びている。昆明市内も高速の工事中だらけだ。だからかなりの渋滞に会う。
 元陽のガイドは、漢族とハニ族のハーフの女性だった。棚田にある小屋は何に使うかというクイズを出し、答え(棚田は4000段もあるので家に帰らず宿泊する施設。男女逢引の場でもある。)が出ると歌をサービスしてくれた。本人は下手だというが、これが大変なもの。踊りの方が得意だとのことで夕食時に踊ってもらうことにしたが、何と友人3人を連れてきてハニ族の乾杯の歌を歌ってくれた。これで宴は盛り上がり大交流会となる。
 少数民族の少年たちは、ボールペンが欲しいという。学用品に事欠いているようだ。充分な準備をしてこなかったから希望に応じられない。帰り際、軒先でおいしそうに餅のようなものを食べているおじさんがいたので見ていたら、食べてみるかということで、一ついただく。何かわからなかったがおいしかった。

   湯さん
 日中の特別会員である湯さんは、乗り換えの広州で迎えてくれ、ベトナムから中国へ入った河口で再びお出迎え。最終日の広州まで一緒だった。日中友好と中国の現状を熱く語る。何かの式典のため通行止めの高速の入り口で、係りに日中の旗を見せて交渉し、我々の車だけ進入できた。日中の旗の威力だとにこにこしている。昆明を発つバスでも湯さんの弁舌は止まらない。それで現地ガイドが別れに用意したシナリオはもろくも潰えて、彼はお別れの挨拶もできなかった。

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